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日記124:「wowakaの命日」
穴が空く。
穴が空くと、そこには慣性の法則だかなんだかで、面白いほどに周囲の物が集まって、そうして吸い込まれていっては堆く積もるのだということを、先日ふとしたときに思った。アカウントを消しては作り、消しては作り、それを幾度となく繰り返しつつもnoteそのものを書くのをやめないのは、そういうこともあるのかもしれない。
去年、親戚が死んだ。ひとりかふたりが死んだのだが、生憎私にはなんら接点のない人物だ
五周忌にあたって、wowakaのこと(再掲 2023/02/14 18:50)
それを知ったのは去年の秋冬のことだった。2019年に彼が亡くなり、私のあらゆる記憶、視界、物事や意識の中に彼のことが結び付くようになり早数年、普段のようになんら変わらない、こうして思い出そうとしてもまったく思い出せないほどの平凡な生活の中で彼の死を思い出して悲しみ、wowakaが亡くなってもう3年だね、来年で四周忌だねと母に言うと、「いや違うよ」と言った。「その人が亡くなった年で一周忌だから、wo
もっとみるwowakaをまだ待っている (再掲 2023/04/05 17:34)
夜中起きてtwitterを開くと「wowakaさん」の文字がトレンドに見えた。今日は4月5日である。wowakaはまだ死ぬべきではなかった。私の目が黒いうちは死ぬべきではなかった。そのような馬鹿馬鹿しい幼稚で身勝手なことを思い続けて今日でめでたく4年目だ。人の生き死にを生活の中、ニュースであったり会話の中であったり、そういったそこかしこで認識する度に私の中で必ず頭にあるのは、いつだってwowaka
もっとみるwowakaの話(再掲 2022/11/07 01:57)
どうしようもなくさみしくて苦しい、私にとっての4月のこの日というのは、2019年からずっと変わらないものだし、変えられないものだ。はじめて人の死を知った日、死んだからこそ人を愛することを知った日、彼がこれから先、記憶の中でしか息をしないと知った日。どうしようもなく空虚でさみしくて、私がすこしだけ人間らしくよわっちくなる日だ。彼のみる世界が好きだった。人が世界を愛する姿、それがどうやっても理解できず
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