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日記143:「ごはん食べたくない期」

あるある。

無性に食事を回避したくなる時期が不定期にやってくる。
理由としては特にない。たとえば体重が近ごろ減らなくなってきたからとか、あるいは胃の調子が悪いからとか、そういうあからさまに拒食的な衝動というのは意外と少なかったりする。そもそも私は拒食というよりは過食だし、過食まではいかずに時折むちゃ食い衝動が現れる程度だからかもしれない。

今日は母の誕生日である。なので恐らく夕飯には色々並ぶであろう。それを考えるとどうにも憂鬱になる。
先日どこかでこんな話を目にした。食事をプロテインと、それと話題の完全栄養食で済ませるようにした知人の体臭が明らかに変化してきたと。特徴的なそれになってきたと。
私はそこまでの徹底的な食事の排除はしたいとは思わない。でも食事を楽しむということはなくてもいいかもしれないとは思う。その差の理由はきっと、そうまでしてしまうと後戻りできなくなるような気がするからだし、はっきりとはしないがどこか病的でデメリットが強いように感じるからだろう。

意外と先入観の強い人間だと思う、自分を。
昔放送大学の講義を手慰み程度にテレビで見ていたころ、心理学かなにかで類型論というのを知った。間違っていたら恐縮なのだが、確か顔貌等でどの精神病質かを推測するといったような類だった気がする。なんとなく、それを自分の中にあった覚えのある感覚のように感じた。
幼いころ、よく周囲を観察していたころ、どういうムーヴをすると子どもは子どもっぽいのか、大人から好かれるのか、そんなことを鋭く察していたことがあった。私はそういうところから、どこか偏見めいたものをおのれの中に作り出し、そして正しさと正しくなさを判断していたことがあった。
今思うとそれは間違いだったが、完全な過ちでもなかった。分別がつくというのは、どこまでも極端な考え方をしがちな私のいい歯止めとなっているのかもしれない。もちろん、アクセルにも。

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