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音楽好きにこそおすすめしたい日本民謡【頼むから聴いてくれ】

民謡なんて聴かねえよ年寄り臭せぇ。と、お思いのそこのあなた。
否定はせんが後悔もさせん。聴いてくれ頼む。


民謡ってなぁに

そもそも民謡って何って話ですが、それはそれは長い話になりますので割愛させてもらいますが簡単に言うと「日本のカントリーソング」って感じのものです。

そもそも「民謡」というのは明治になってからの呼称でそれ以前は「田舎歌」といった呼ばれ方をしていました。
その名の通り地方の田舎で歌いつがれてきたその土地ならではの歌っていう感じですね。
そのため大阪や江戸のような都会にはその土地固有の昔ながらの民謡はほとんどありません。
(東京音頭や東村山音頭などは1900年代に入ってから作られた新民謡と呼ばれるものです。)

ではどうしてそんな片田舎の地方の歌が現代まで残っているのかというと、人々が歌い継いできてくれたからです。
大名の参勤交代や旅芸人など、往来する人々が地元の民謡を歌い、それを都会まで伝えてくれていたのです。
我々が生まれるずっと昔、大昔の人が歌っていたものが現代まで届いて、それを歌うことが出来るってなんだかすごくロマンを感じませんか?

もちろんその一方で忘れられてしまった歌もたくさんあります。
特に仕事に関する歌は忘れられたものが多いといいます。
稲作や狩猟などの作業中、喧嘩をしないためタイミングを合わせるために皆で歌を歌っていましたが、作業の効率化や機械化に伴いその作業と共に歌も消えていったわけですね。
繰り返される、諸行は無情。

串本節

和歌山県は串本に伝わる民謡です。
発祥についてはよく分かっていませんがお祭りの際、神輿を運ぶ人たちが歌っていたと言われています。

さて、そんな串本節なのですが、2019年に個人的な大事件が起こりました。
パンクのゴッドファーザーの異名をとるイギー・ポップが最近聞いたお気に入りの曲として串本節をラジオで紹介したのです。

民謡クルセイダースといえば、日本民謡をラテン音楽と融合させた音楽を展開するバンドですが、こちらの串本節も低音ベースにラテンなパーカッション、オリエンタルなブラスなどなどとにかく楽しいワールドミュージックなアレンジがなされています。
なんでも串本節は1950年代にフォークダンスとして踊られていたこともあったそうで、こういった楽しいアレンジもダンスを意識したものなのかもしれません。

さて、先ほども書いた通り民謡というのは田舎で生まれ、それが人々の往来により口伝されてきたものです。
そのため同じ民謡でも地域によって歌詞やメロディー、歌い方が違うことが多々あります。
この民謡クルセイダースは民謡を「民衆のための音楽」として復活させることを目的として活動を続けているため、ガラッとアレンジを加え多くの人に民謡を届けていくというスタンスですが、これはまさに形は変わり続けながらも歌われ伝わってきたという民謡の在り方そのものなのではないでしょうか。
かつて民謡を歌い継いできた我々の祖先を彷彿とさせます。

津軽よされ節

青森県に伝わる津軽よされ節です。
津軽じょんがら節、津軽おはら節と並んで津軽三大民謡と呼ばれる名曲です。

民謡というのは「うた」所謂「ボーカル」ありきの音楽です。
江戸時代中期までは手拍子が付くことも珍しかったと言います。
しかし江戸時代後期になり田舎の民謡が都会に伝わり遊郭やお座敷などで歌われ始め伴奏が付くようになると、その際に用いられた楽器が独立して一つのジャンルを形成するようになります。
そのジャンルの一つが三味線音楽です。

そしてそんな三味線音楽を代表するこの津軽よされ節ですが、やはりその聴きどころは前弾きと呼ばれるボーカルに入る前の三味線ソロでしょう。
泣きのギターという言葉がありますが、この三味線はまさに泣いているというか、とにかく痺れるの一言に尽きます。

そしてこちらはアイドルグループRAYによるカバーです。
音楽レビュー界隈では割と有名な内山結愛さんが所属しているグループですね。私もレビュアーの端くれとして彼女がnoteにて執筆しているアルバム紹介記事は時々覗いています。

さて、RAYは「極北を目指すオルタナティヴアイドル」という活動コンセプトがあるらしいのですが、その名の通りこの曲もプログレメタルチックなオルタナティヴアレンジが楽しいです。
しかしその一方で三味線では今をときめく天才三味線奏者、川嶋志乃舞が参加しており、伝統音楽としての熱量も素晴らしいです。
和ロックっていうのはこういうのを言うんだよ。

秋田音頭

曲名の通り、秋田に伝わる民謡です。
そんな秋田音頭の最大の特徴は何と言ってもリズミカルな歌い方でしょう。
これは「地口」という語呂の良い歌詞やリズムを重視した歌唱法で、現代でいう所のラップのようなものです。
またこの曲は秋田の名物について歌っているため、そういう意味では秋田をレプリゼントするまさしくヒップホップなのではないかと思ったりします。
よく川上音二郎のオッペケペー節が日本最古のヒップホップだと言われますが、私は秋田音頭の方を推したいですね。

こちらは秋田出身のラッパーであるLunv Loyal(ルナ・ロイヤル)のSHIBUKI BOYという曲。
歌詞に出てくる「口あぐな」というフレーズが秋田音頭からのサンプリングなため紹介させてもらいました。

現代は音楽理論が確立しているため、和風っぽい曲を作ることはさほど難しいことではないのだと思います。
がしかし、理論に沿っただけの曲はどうしても和風っぽさを醸し出しただけになっているように感じます。
それは私が日本の田舎に生まれ、田園風景や寂れた神社を見たりおばあちゃんの家の縁側でセミの鳴き声を聞いたりしながら育ったからであり、そこに日本ならではの魅力と美しさを見出しているからだと思います。
要するに、日本文化の持つ熱量を理論では表現し切れていないように感じてしまうんです。

その点、このSHIBUKI BOYは私にぶっ刺さりました。
というのもこの曲は、秋田弁を使ったフロウ(歌いまわし)やリリック(歌詞)にせよ湊囃子をサンプリングしたビートにせよ、曲の根底に確かな郷土愛が存在するんですよね。
ただ音楽理論に沿って和の要素を取り入れただけではない、Lunv Loyalの内側にある本物の和。
これこそまさに日本のHipHopでいう所のhoodという考え方と、古来から続くその土地ならではの民俗的な風習が融合した最高の音楽なのだと思います。

生野の子守歌

兵庫県生野町は上生野に伝わるわらべうた、生野の子守歌です。
もっともその上生野は1972年に生野ダムが建設されたことによって沈んでしまっていますが。

さて、これは時を少しさかのぼった1972年以前のお話。
当時の生野町は銀山で栄えていた反面、水による被害が絶えない町で洪水による田畑の汚染や道での遭難など、人命がたびたび失われる過酷な場所でした。
しかし、いくら過酷と言っても栄えていることに変わりはないわけで、上生野の人たちは生野町まで出稼ぎに行くわけです。

そして出稼ぎに出た人々の中で、守人(ベビーシッターみたいな仕事)の人たちが歌っていたのがこの生野の子守歌です。
奉公先の赤ん坊を寝かしつけるために歌っていたのですね。
しかし歌いだしには「ここは来ないでも 生野は寒いよ」という歌詞があるため、過酷な生野という土地から故郷の上生野を懐かしんだり、あるいは家族や恋人、将来を誓い合った幼馴染、まだ幼い弟や妹のことを思って歌っていたのもまた伝わってきます。

さて先ほども書いた通り、上生野は72年のダム完成により水没してしまう訳ですが建設にあたって地元住民の反対の声は非常に大きかったようです。
もっともそれは当然の話で、慣れ親しんだ風景や家々、祖先の墓や神社などをすべて水没させるというのはいくら公共事業のためとはいえ辛いものですから。
それでもダムの建設は完遂し、現代では釣りの名所として観光スポットとなっています。

少し前置きが長くなりましたが、上に貼っているの動画は寺尾沙穂による生野の子守歌です。
物寂しい歌声や哀愁を帯びたサックス、
さらに「わしは行きたい あの山越えてよ」と故郷に帰りたいと泣く歌詞からは当時の守人のことをどうしても考えてしまいます

この曲は寺尾沙穂の「わたしの好きなわらべうた」というアルバムに収録されています。
本作は寺尾沙穂自身が日本各地を回り、民謡やわらべ歌を集め、歌の起源を調べ、それに現代の音楽的なアレンジを加えるという手法で制作された作品です。
もはやそれはアーティストというよりもむしろ民俗学者なんじゃないかとも思うんですが、それほどまでに思いがこもった曲をアルバムとしてリリースしたことは民謡が聴かれなくなった現代において非常に大きな意味があったのだと思います。
買ってください。

おわりに

民謡が好きになったのにはいくつか理由がありますが、その中の一つにNHKで放送されていた「ふるさとの伝承」という番組の影響があります。
全国各地にある風俗や行事などを丹念に取材した素晴らしい番組です。
もっともリアルタイム世代ではなく、小学校から帰ってきた後におばあちゃんと一緒にDVDで見ていました。

正直、当時は何が面白いのかよく分からなかったし、一緒に見ていると言いつつ実際にはPSPで遊んでいただけということもありましたが、その時間が何となく好きでした。

悲しいことにおばあちゃんは天寿を全うし、そのDVDは遺品となってしまいましたが、内容は今見るとかなり民俗学的で、貴重な資料であることが分かります。
でも個人的に重要なのは、このDVDを通じておばあちゃんの事を思い出すということです。

民俗学を学ぶこととは何か?なぜ民謡を聴く必要があるのか?
これらの問いには多くの学者や作家が各々答えを出していますが、私にとっては「おばあちゃんはもちろん、多くの名もなき人間が必死に生きていた証を感じることが出来るから」なんですよね。

生きてきた時代も土地も何もかもが違う。
それでも伝わるものがある。
そういうものを出来る限り伝えていきたいというのも、私の活動の目的の一つなのです。

遅くなりましたが上に貼ってあるのは姫神の「白鳥招来」というふるさとの伝承のオープニング曲です。
本当に大好きな曲です。


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