障がい者という彼

自身を重度の障がい者だというその彼と、

障がい者という名称について、彼と話した。

ーー

《障がい者?その呼び方ってどうなの?
障害じゃなくてそれは個性があるということだよ!》
と人は言うが、

そんなのは健常者の言うこと。

俺は、
そんなきれいにおさめて欲しくない。
というか、おさまりが良くなると思ってるんじゃない?

障がい者という名称があることで、
今の社会が作る隔たりを明確にできるんだよね。

「だから、障がい者の俺は、障がい者という名称はそのまま存在することはある意味必要なんだ。
だって、今の社会をそのまま映し出す役割になってるからね。」

ーー

そうだな。

障がい者施設仕事をしていた時も
この「障がい者」という言葉については、たびたびテーマに上がる。

障がい者という言葉を見下す違和感のある呼び方だという傾向にあった。

健常者だけのディスカッションだったからかもしれないな。

また別の角度からみると、「障がい者」という言葉が存在する社会なんだということ。

交わって、ナマの声を聞くのってとっても大事だなと感じた。


彼との話は面白い。
話し出すと何時間にもなってしまう。


これまで話したのは
『二項対立』『エネルギー』
『カースト制 サバルタンという種族』
『時間管理』とか『新速読術』とか
『飽き性』『継続するには』などなど

近々話そう決めているのは、
『英語の習得』『noteのこと』

ちゃんと
理路整然と話す彼と、
全く話がはちゃめちゃになるわたしと、


たぶん彼のおかげで成り立ってる。
今日もライブ配信します。笑

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