茨木のり子…その生き方に憧れる

時々無性に詩が読みたくなる。

『詩のこころを読む』

例えば、この『詩のこころを読む』はもう何回読んだことだろう。これは詩人の茨木のり子が自分の宝物のように読んでいる詩を語ることで、若い人たちに詩の魅力を知ってほしい、という願いを込めて書かれたものだ。

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「生まれて」「恋唄」「生きるじたばた」「峠」「別れ」とテーマにわけて編み上げられた詩のコレクションを読むと、生きていくということの傍らに、それを唄う詩があること、その素晴らしさに気がつく。

『一本の茎の上で』

その茨木のり子が50歳を過ぎてから、韓国語を習い始めたことを知ったのは、エッセイ『一本の茎の上で』を読んだ昨年のことだった。

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私自身が、このところ韓国文学を好んで読むようになっていて、その魅力にとてもひかれているところだったので、なんだか勝手に詩人との縁を感じて胸が熱くなった。

『隣の国のことばですもの  』金 智英

そして、先週図書館の新刊コーナーで見つけて読んだこの本。

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この本に、茨木のり子がハングルを習うに至った、韓国とのつながりが書かれていた。彼女は49歳で最愛の夫と死別している。夫を亡くした悲しみを、新しく語学を習うことで紛らわしたという側面はあるだろうが、それだけではなかった。彼女の作品から読み取れる彼女の生き方全てが隣国である韓国へ向かわせた。国家によって一方的な犠牲を余儀なくされていた軍国少女だった自分が、戦後は強いられた全てのものを拒絶し、主体的に生きることを決意した。敗戦を境にあらわになった差別や偏見、見て見ぬふりをして来たあらゆる真実を詩を通して社会に伝えたいと願ったのだ。その伝えたい中に韓国の詩人 尹東柱(ユンドンジュ)のこともあった。

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『歳月』

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そして、続けて読んだのが、亡き夫への思慕と悲嘆を赤裸々に描いた作品『歳月』だ。「一番親しい同志」と表現されている最愛の人を失うということは、こんなにも「生木を裂かれるような」苦しみなのか、自分にその時が訪れたら、などとたまらぬ気持ちで読んだ。

そしてこの記事を書いている間に郵便が届いた。注文してあった『見えない配達夫』だった。読むのが楽しみだ。

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