歳をとるということ

お昼を食べて寛いでいると、今ではほとんど鳴ることが少なくなった家の電話が鳴った。「最近ではこういうのは大体セールスだよね」などと言いながら出てみると、叔母からの電話だった。

母の実家で息子夫婦と暮らす叔母が電話してくるのは、年に数回なものだから、何かあったのかと心配してしまったが、そうではないようだった。「お義姉さんはどうしているかと思って…」亡くなった夫の姉である母のことが気になって電話してくれたようである。施設で暮らしている母とは私自身もずっと面会ができない状態で、施設の職員さんから聞いている母の様子が変わりないことを伝えるしかなかったけれど、それについて叔母が嘆くわけでもなく受け止めてくれたので助かった。

母を施設に任せていることについては、いつまでも負い目やら後悔のようなものを感じてしまう。コロナのこともあって面会までできなくなってしまったものだから、これまで以上に母のことをほったらかしにしてしまっているような罪悪感にとらわれてしまっていた。母の晩年がこんなことになるなんて、家族にもかわいい孫達にも会えないなんて、こんな状況にさせてしまって、なんてひどい娘なんだろうと時々自分を責めていた。だから母と同年代の叔母達に、どう思われているのか想像するとつらくなる。

電話で叔母は母の妹の近況も知らせてくれた。やっぱり一年前に施設に入っていて、夏に会ったきりだという。「会ったときもね、お互い話すこともなくなってしまってね。周りに関心がなくなってくるのよね。それが年をとるってことなのよねぇ。」叔母は悟ったように明るい口調で話してくれる。

「年をとるとね、自分のことで精一杯になっちゃって、私も家事はみんな(お嫁さんの)K子さんがやってくれるから、日中は畑に行ってね、できるかぎりはね、体を動かさなきゃって…」叔母は昔からどんなに辛い状況の中でも人生の明るい側面をみられる人だった。夫が交通事故で亡くなった時も、その後経済的に貧しかった時も、息子で苦労した時も、暗い言葉を聞いたことがない。

「だからね、夏月ちゃんも自分が体に気をつけてね。」私の心配をしてくれる。いつもそうだ。高齢の叔母の愚痴を聞くのが本当なのだろうけれど、私の方が励まされた。叔母の存在は私を強くしてくれる。


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