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親を看取る 父の場合【音声と文章】

山田ゆり
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※音声と文章、どちらでも楽しめます。


おはようございます。
山田ゆりです。


今回は、
親を看取る 父の場合
ということをお伝えいたします。


社内の人のお母様が亡くなられた。

また、Twitter上で親しくさせて頂いている方の
お父様がお亡くなりになった。

親を看取った時、
私はどうだったのだろうかと過去を振り返る。



父は私に挨拶を返す人ではなかった。
孫には自分から進んで「おはよう」と挨拶するのに
私が父に「おはようございます」といっても
言葉は返ってこない。

だから、私はいつも意地になって
もう一度言う。
すると父は仕方なさそうに
小さな声で「おはよう」と言ってくれた。

そんな些細なことだったが
私は毎回、傷ついていた。

自分の存在を否定されていると感じていた。
だから私は父が嫌いだった。



あの日も私の挨拶を
聞いているのかどうか分からない感じだった。

あの頃私は、父に対しては憎しみしかなかった。

その日の夕方、
頭の上あたりで、自分を呼ぶ声が聞こえた。

それは、男性の声だった。
振り向くと誰もいない。

なぁんだ、誰もいない。空耳か。


その日、社長に報告したいことがあった。
社長室では他の方との話が続いていた。

就業時間は過ぎていたが
社長にひと言報告したくて
私は待っていた。

一時間位待ったが、
社長のお話は終わりそうになかった。

特に急ぎの件ではないが
早いうちに報告しておいた方が良いと思っていた内容だった。

ま、いっか。
報告は明日にしようと思い、
私は帰る事にした。



帰宅すると母から
父がまだ帰ってきていないと言われた。

もう辺りは暗くなっている。
父はこんなに遅くまで畑にいるような人ではない。

いつも早々に畑作業を切り上げて
テレビの前であぐらをかいて
のんびり晩酌をしながら
相撲の取り組みを見ている人だ。

おかしい。
不安がよぎった。


歩いて数分のところに
トラクターなどの農機具を置いている倉庫がある。

まずはそこを見て見よう。
そしてそこにいなかったら畑に行ってみよう。



父が暗くなっても帰ってこない
その事を母はとても心配していた。

いつもの優しい目つきとは違い、
狂ったように母は狼狽していた。
母は最近、父を叱るようになっていた。

母は私たちの前で父を叱るような人ではなかった。
しかし、最近の母は父をとても強く叱るようになっていた。

今思えば、それが認知症の初期症状だった。
温和な人が突然、攻撃的になるのは認知症初期にある事。

しかし、あの頃、認知症なんて
私の周りには無かった事だから
私は全くそのような考えには及ばなかった。



異常なほど落ち着かない母と
小3の三女と一緒に
私たち3人はまずは農機具の倉庫に向かった。

そして、薄暗い倉庫の中で
父の姿を発見した。



その状態を見て、とにかく、救急車を呼ぼうと思った。
母がその場に残り、
三女と私は家に向かった。

救急車を呼ぶ時、家の電話からした方が
住所の把握がされやすいと
私はテレビか何かで知っていたから。


私は夫に連絡しようと
歩きながらポケットからPHSを取り出した。
当時は、PHSが主流の時代だ。

私は、短縮機能を使って夫に電話をしようとした。

ボタンを2つ押せばすぐに夫のPHSに繋がる。
いつもしていること。
しかし、私は何度やってもその操作ができなかった。

頭では分かっていた。
これとこれを押したら電話がつながる。
でも、指がその通り動かなかった。

自分はどんな時でも冷静沈着に振舞える
そう思っていたが
その時、私は動揺していた。

脳からの命令に対して
体がうまく反応しないことが
実際起こるのだとその時実感した。

何度目かでやっと夫に電話がつながった。

そして、家に着き、
玄関の電話から救急車を呼んだ。



間もなく、けたたましい音と共に
救急車がやってきた。

暗くなったところに
赤いランプがクルクル光りながらやってきた救急車は
小さな集落には物珍しいもの。

たちまちご近所の人が集まった。
今晩の話はこれで決まりだろう。


長女が自宅と倉庫の分かれ道の辺りに立って
救急車を誘導したような記憶がある。
私の記憶はところどころ無くなっている。


救急隊員が父を診察した。

私は救急車の中に促されて
事情を聞かれた。

帰宅してから今までの事を聞かれた。
それはいいから早く父を乗せて病院へ連れて行って欲しい。
どうして早く父を乗せて出発しないのか
私は内心やきもきしていた。

そしてそれは、父を救命する必要がないのだと
少ししてから教えられた。

つまり、既に父は亡くなっているとのこと。
その推定時刻は夕方頃だという事を後で知らされた。


その日、私たちは自宅で
警察の人から事情聴取を受け
父の部屋を調べられた。



3か月間の闘病の末に
不治の病で弟は亡くなった。
だから私は、人が亡くなるのは大体
ベッドの上だと思っていた。

そして、家族に見守られながら
その時を迎えると思っていた。

だから、父との別れが
こんなに突然、
こんなカタチでやって来るとは思わなかった。


父に対して反抗心を抱きながら別れた朝。
それが最後になるとは思いもよらなかった。



私がまだ小さい頃、
父はひげ面のあごを
私の頬にこすりつけてきた。

私はそのじょりじょりとした感覚が
面白くて
でもちょっと痛くて
喜んでいた。


父は長年、肉体労働をしていたから
父の力こぶは凄かった。

筋肉粒々で力こぶをいくら押しても
硬くて潰れなかった。
強い父がそこに居た。



あの頃が素直な親子の姿だったと思う。



今回は
親を看取る 父の場合
ということをお伝えいたしました。


本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



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