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大好きなスポーツが今後できないと言われて【音声と文章】

山田ゆり
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※今回はこちらの続きです。

https://note.com/tukuda/n/n21a49f2f9ed5?from=notice





弟は一般病棟から無菌室に移る前に、病院の理髪店の方にお願いして散髪をしていただいた。
弟はこれから治療が厳しくなると医師から聞いていたから、自分に気合を入れる意味もあり、髪を五厘刈りにした。

そんなヘアスタイルは高校の野球部以来である。
顔立ちのはっきりしている弟の坊主頭をのり子は久しぶりに見た。


今後、薬の副作用で髪が抜ける可能性を示唆された弟は、どうせ抜けるのなら先に髪を短くしようと思ってのことだった。
弟の決意がその坊主頭に反映されていた。


のり子の弟は治療という名の「試験」を受けていたのだと思う。大学病院はそういうところだと何となく分かっていた。

それはその人のためではあるが、同じような病気になった将来の人のための「お試し」でもあるとのり子は思っている。


その試験は弟を苦しめた。
新しい治療が始まると吐き気が何度もして高熱が出た。
のり子は何度も洗面器を洗いに行った。
広い病室には洗い場もあったから、部屋を出ることなくすぐにできた。
筋肉質の身体だった弟はどんどん痩せていった。

目は窪み顔色はいつも悪かった。



治療の合間に弟は会社への手紙を書いた。
新しい治療が始まり毎日が戦いであること。しかし、この厳しい治療に耐えて一日でも早く会社に復帰したいことなどを縦書きの便せんにびっしりと書いた。

そしてポラロイドカメラで入院着の姿を映し、写真と手紙を一般的な白の封筒に入れた。

のり子は弟に頼まれ、その手紙を弟の勤務先である新聞社に持って行き、弟の直属の上長であるTさんに箱菓子と一緒にお渡しした。

毎日のようにお見舞いに来てくださったTさんは面会謝絶の無菌室に移ってから会えなくなっていたので、弟からの手紙をとても喜んでくださった。


目が窪み、点滴の棒につかまって立っている弟の姿を目を細めてTさんは眺めていた。




小学校から現在の社会人野球まで、20年以上野球を続けてきた弟は、退院したらまた野球ができる、そう信じていた。



ある日、弟はそのことを医師に話した。
すると男性の医師に「退院後、スポーツはしないでください」と言われた。

ずっとスポーツをしてきた弟にとって、それができないことはとてもショックだった。
その夜、弟は珍しく落ち込んでいた。


治療をしてくださる医師団の中には心無い言い方をされる医師がいらっしゃった。

弟が退院後、スポーツができないと言ったのは、「君は生きてこの病院を出ることができるはずがない」という思いでおっしゃったのだと、弟の本当の病名を知っているのり子は感じた。

たくさん勉強ができる方なのだろう。しかし、患者に希望をもてるような言葉がけができない医師は、いて欲しくないとのり子は思った。



これまで辛い治療にも耐えていた弟だったが、今後の人生でスポーツをすることができないと言われ、初めて真剣に落ち込んでいた。

やがて弟は、「スポーツができない体になっても、観戦することはできるのだ。
これからはスポーツをしている人を応援する側で頑張る」と言った。


身体を鍛えるのが趣味の弟にとってスポーツができなくなることは、片腕を取られたようなものだ。
それでもそれを受け入れて前を向いている弟がいじらしかった。



弟に付き添っているのり子は毎晩、弟のベッドの隣の床に布団を敷いて弟と同じ天井を眺めていた。


小さい頃の思い出を語ることもあった。
しかし、過去のことよりも将来の事を語る方がダントツだった。

のり子と弟は毎晩、真っ白に粒々の穴がある変わらない天井を眺めながら、たくさんの未来を語り合った。



治療が合っていて副作用がほとんどない時もたまにあった。
そんな時は「もしかしたら弟はこれからどんどん良くなっていくのではないだろうか」と希望の光が差していた。

しかし、そんなことは少ししか続かなかった。





長期入院で一日中寝ているだけの人にとって、食事は楽しみの一つだと思う。
医師にお聞きしたら「何を食べても大丈夫ですよ」と言われた。


だからのり子は無菌室を出て売店から毎日のように、ヨーグルトや口当たりの良い食べ物を購入してきて弟に差し出した。
具合の良い時は美味しそうに食べていて、そんな弟を見るのがのり子は嬉しかった。


「なんでも食べていい」と医師に言われていたが、無菌室での食事は最低だった。

ある日のメニューは
ご飯とお皿に山盛りのほうれん草のおひたしと味噌汁。それだけ。


人の悪口を言う人ではない弟だが
「馬じゃないんだから」と言っていた。

無菌室での食事はとにかく酷かった。



のり子の弟は毎日、勤務先の新聞を隅から隅まで眺めていた。
自分が担当する広告を見て、「そうか、こういうデザインもいいな」とか「文字の配列をこうしたのはそういう意図があってか」など、職場復帰のために自分の感覚を磨くことにも入念だった。

そして仕事柄、お悔やみ欄は欠かさず見ていた。
それは社長の運転手をしていた時代からの習慣だった。

知っている方のお悔やみを逃してはいけない。その思いからだった。


ある日、弟はそのお悔やみ欄にくぎ付けになった。




長くなりましたので続きは次回にいたします。




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~大好きなスポーツが今後できないと言われて~
ネガティブな過去を洗い流す

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