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俺のせいではない(ショートショート)①

何も良いことは無かった。

10数年間勤めた会社を俺は5日前に退職した。残りの有給休暇を使い切る形で退職したから2週間前から会社には出勤していない。

転職活動はうまくいっていない。退職が決まってすぐに受けた会社は、自分としてはかなりレベルを下げたつもりだった。だから採用間違いないと思っていたが、ダメだった。

その後数社に履歴書を送ってみたが、全て断られた。今は会社に行かなくても給料がもらえるからいいが、来月からは厳しくなる。

そろそろ車検が近づいてきている。
車の任意保険の満期もあと少しだし、固定資産税の納付書はそのままにしている。早く就職しないといけない。


昼近くまで寝ていて、朝食兼昼食で一食をうかし、ネットで求人サイトをぶらついていたらあっという間に辺りは暗くなっていた。気晴らしに車を走らせ気づいたら十数年通った会社の近くまで来ていた。自然に会社に向かっていた自分を笑った。

時間は21時を回っていたが会社には明かりがついていた。
まだ誰かいる。この時間まで残っているとしたら営業の近藤さんだろうか?相変わらず見積もりが溜まっているのだろう。

俺は静かに車を会社の駐車場に停めた。そして砂利道を音がでないように静かに歩いた。差し入れになるものは持っていなかった。俺は近藤さんを脅かしてやろうと思った。


最近暖かくなったとはいえ、朝晩はまだ冷える。俺は運転用の手袋はそのまま履いて、入り口のドアを静かに開けた。


従業員通用口のドアノブは、回すと簡単に開いた。考えてみれば不用心である。俺みたいにこっそり会社に入るやつがいるかもしれない。
スリッパを履こうと思ったがスリッパの歩く音で気付かれるかもしれない。ここは靴下のままで歩こう。


事務所のドアは開けっ放しだった。なんと、残っていたのは事務の幸子さんだった。幸子さんはPC作業をしていて俺には全く気が付いていない。


幸子さんの近くまで俺は上体を低くしながら歩いた。この姿勢はおなかと背中に負担が来るがしかたない。

「まだ、やってるの?」

近くまで来た俺は幸子さんに突然話しかけた。

幸子さんはぎょっとした。そりゃ、無理もない。こんな夜中に、しかも、退職した俺が突然目の前に現れたのだから。驚いた顔を見られて俺の目的は達成し満足だった。

「まぁ、渡辺さん、お久しぶりです!元気そうで良かった」

彼女は目じりに皺をいっぱいよせて立ち上がり、自分のマグカップを右手に抱えて俺に近づいてきた。優しい幸子さんのことだ。俺にコーヒーを入れようとしているのが分かった。そういうところが幸子さんらしい。久しぶりに自分の存在を肯定されて嬉しかった。

彼女は俺より少し年下のシングルマザーだ。確か二人のお子さんがいる。
その嬉しそうな顔を見て、最初は嬉しかったが、そのうち、俺はムカついてきた。

元気そうでいい?
何がいいんだ!

仕事は決まらない。
お金は底をついてきた。
頼れる親も兄弟もいない。
これから俺はどうすればいいんだ!


俺は日ごろの不摂生が災いし、5日間緊急入院した。その後は自宅療養ということで有給休暇を取っていた。だいぶ調子は良くなってきたがまだ頭はぼんやりする。

久しぶりに長い休日を過ごした俺は、会社に行きたくなくなっていた。もともと好きで続けている仕事ではないということもあった。
転職しようかと思い始めた。


俺は社長室で退職願を出したあの日を思い出した。
落胆・失望・憎悪が再び蘇った。


≪退職願を出した社長室で≫

「そうですか。会社としては残念ですが、渡辺さんの意志を尊重し退職願いを受理させていただきます。」

社長はそう言い、俺の退職はその場ですんなり受理された。

なんてこった!
退職願を出したら普通は一旦、慰留されるものだと思っていた。

退職日を切りの良い月末までにしてくれないかと言われるかもしれないと思い、もう一つの退職願をこっそり用意して来たのに。こんなにあっさり受理されるとは思ってもみなかった。自分はこの会社からは求められていないのか。

意を決して退職を表明し、すっきりするだろうと思っていたが、落胆しかなかった。

すぐに人事担当の幸子さんが社長に呼ばれた。

幸子さんは俺が退職することを社長から聞かされ、目を大きくし驚いていた。そうそう、その顔が欲しかったんだ。俺がいなくなると会社も大変だろう。

しかし、すぐに幸子さんはそのうち、嬉しそうな顔をした。俺にはその時そう見えた。

どういうことだ!俺が辞めるのがそんなに嬉しいのか!
俺は胸くそが悪かった。



あの時のことを突然思い出した。ムラムラと怒りが湧き上がり、幸子さんを睨みつけた。微笑んでいた幸子さんは俺の顔の変化に気が付き足を止めた。

「何が嬉しいんだ。俺が辞めるのがそんなに嬉しいのか!」

俺は日ごろのうっぷんを彼女にぶつけた。彼女が悪いのではないのは分かっている。でも、久しぶりに気心が知れた人に会い、つい本音をぶつけてしまった。

俺は憎悪をむき出しにして彼女に近づいた。

「そうではないの。」
彼女は少し後ろにたじろいだ。

「あっ!」

彼女は床の配線をまとめたカバーに足をとられ、机の周りにある衝立の角に頭をぶつけそのまま倒れた。

事務所内はそれぞれの机が衝立で仕切られている。外資系の会社によくある、あの感じだ。その衝立は会社の製造部門の職人が作成したものだ。


角が面取りされていないから「危ないよな~」と誰もが言っていた。

そしてその衝立は今、鋭利な凶器に変わった。衝立の角はうっすらと赤くなった。

幸子さんのマグカップは宙を舞い床にゴロンと落ちた。分厚いカップの中から残りのコーヒーが床に垂れ、床は焦げ茶色に染まった。

「幸子さん?」

幸子さんは起き上がらなかった。

俺のせいではない。
俺は何もしていない。彼女が勝手に滑って転んだのだ。

俺は会社を出て車を静かに発進させた。


②へ続く


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