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天使たちと食堂外交

時刻はお昼の十二時すぎ。昼休みに入ったお客さんがいっせいに食堂にやってくる。

狭い店内は一気にごった返し、洗いもののお皿で溢れかえる。

「店長!お米も、お茶も、お茶碗もなくなったよ!」

スタッフは必死に接客をする。私はというと、完全にパニックに陥り、厨房の奥で空(くう)を見つめてフリーズしている。

そういうときに限って五名さまの入店。(店内は満席)

洗い物の山は、シンクからいまにも溢れ出しそうになっている。

(もう…ダメ!)

心の中で叫んだその時、レジの向こうから声が聞こえた。

「アノ…手伝いましょうか?」

ふりかえるとそこには、前から店によく来てくれていた留学生のキンちゃん。

ご飯を食べに来ていたのだが、厨房のあまりの混乱ぶりをみかねて声をかけてくれたのだ。私は、おそらく世界一早い「いいの⁉︎」で助けてもらった。

 その後、留学生のキンちゃんと友人のラーちゃんが食堂を支えてくれるようになった。二人は中国からの留学生で、日本文学を学びに来ている。日本に来てまだ数年だというのに二人とも日本語が堪能で、とても優秀だ。「店長、お箸の数が足りませんよ」とか「もうすぐ常連の方々が来る時間ですよ」とか、とても初めてとは思えない身のこなし。

そうかと思えば、ゲームの話を楽しそうにしたり(後日、秋葉原のゲームカフェに連れていってもらった)、授業前に昼寝をしていったり、アイスを箱で買ってきて食べてはお腹壊したり…そんな大学生らしい(?)一面もあって、私としては可愛くて仕方がない。ついついタッパーに惣菜を詰め込んで持たせてしまう。

 彼女たちに「日本での生活はどう?」と聞くと「さみしい~」と返ってきた。当時はコロナによって大学もオンライン授業になり、国にも一年以上帰れていなかった。

彼女たちは閉店後も店で過ごすようになった。大学のキャンパス内は人があまりにも多くて、ゆっくり過ごせる場所がないのだという。ふとお店にやってきては思い思いの時間を過ごしている。お客さんが帰った後、心もとない気持ちでいた私にとって、彼女たちの存在はありがたかった。

 そんな彼女たちを見ていて、聖書にたびたび登場する天使たちの姿が重なった。天使は聖書の中の大切な場面に登場する。人がもうダメだと思ったときに、突然現れる。しかも天使たちには名前がある。天使ガブリエル、ミカエル、キンチャン、ラーチャン…「天使って日常の中にたくさんいるのかもしれないな…」と最近は思う。

 いつものようにお惣菜を持たせた彼女たちを見送った後、ニュースでは中国と日本の緊張関係が報じられていた。「もしも」の時に備え「日本を守る」ための武力による安全保障の声があちこちで聞かれるようになった。食堂でデザートを食べながら、部活のことや授業のこと、日本のドラマのことを楽しそうに話す彼女たちの国が脅威なのだと言われ支持されている。

食堂外交は、相手に対する尊敬と双方のやさしさによって成立させたい。そして、なによりも手の届くつながりを大切にしたいと願っている。武力ではなく、ちょっと大きめのタッパーをもって。


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