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いのちは関係の中に

ついにこの日が来てしまった。

いつもなら学生たちで溢れ返る食堂前の通りには今朝、人けはない。

誰もいなくなった通りに立ちすくみ、天を見上げている店長のとなりで、ボランティアのコバヤシさんがつぶやく。

「あぁ~大学、春休みだね」


「なんだ~ハルマゲドンかと思ったよ~!」というのを飲み込んで、ホッとしたのもつかの間。その直後、新型コロナウイルスが世界的に感染拡大し、開店から三ヶ月後の二〇二〇年四月七日、日本では緊急事態宣言が発令された。大学は春休みに入ったままリモート授業となり、テレビはコロナ報道一色、スーパーからはマスクや消毒液をはじめ、食料品や日用品が一気になくなり、空になった棚が並んだ。そのうち、自粛警察・マスク警察の存在が報道されるようになり、飲食店への嫌がらせ等が相次いだ。わたしたちの食堂も店内飲食を続けていれば、いつか石を投げられるのではないかと本気で恐ろしくなった。街中のお店が、人々が、これまで通りの活動はできなくなり、全く先のことが見通せない状況となった。異様な空気だった。 

 学生たちがいなくなったこの街で食堂を支えてくれたのは、地域に住む常連さんたちでした。「一日のうちで、ここに来るのが一番の楽しみなんだ」こんな嬉しいことを言ってくれるのは常連の「テツオさん」。最近お連れ合いを亡くして愛犬と暮らしているといいます。お釣りが足りないと言えば、次の日から毎日両替の百円玉を持ってきてくれたり、店長の興味のありそうな本をもってきて「俺は読まねえから、あげる」と新品同然のものをくれるのでした。あとは隣のイングリッシュカフェのオーナーや、海外から二十年ぶりに帰国してきたという方も。オープン時から毎日かかさず来て弁当も買ってくれる通称:毎日兄さん。大学入学のため上京してきたナナちゃん。みなさんひとり暮らしの方が多く、「ここで一食食べればあとは適当でいいんだ」と言ってくれます。毎日顔を合わせていると、それぞれの物語が漏れ聞こえてきます。そのひとつひとつの物語を書こうとすれば、ずいぶんな紙面が必要になりそうです。そのうちだんだん他人とは思えなくなってきて、しばらく顔を見ないと心配になります。

 そんな個性豊かな常連さんたちとコロナ危機を過ごす中で、いのちについて考えるようになりました。わたしの通っている教会の牧師は「いのちは関係の中に」とつぶやきます。いのちは自分一人が保持するものではなく、他者との関係の中に流れるものなのではないかと。今、パンデミックに限らず、大きな物語が、それぞれの小さな物語を飲み込みつつあります。真っ先に切り捨てられてしまうものがあり、踏み潰されることがあり、忘れ去られる人がいます。どうか、どうか、そこにも、ここにも、「よい物語」が立ち上りますようにと、今日も祈りを込めて、湯を沸かします。


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