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やさしさの引き出し

「今日は、小鉢ひとつ追加したので650円です。おつりは350円です」。レジに立つお客さんの声がする。「あっ、自分でスタンプ押しますよ」。老眼のスタッフに代わって、お客さんがポイントカードに印を押す。"CLOSE"のままの看板に気がついて、「これじゃぁ、お客さん入って来ないんで」とひっくり返して〝OPEN〟にしてくれるのもお客さんである。

この食堂では、不思議な現象が起こる。お客さんが自分でお皿を下げてくれるよみようになり、スタッフの代わりにおつりを計算し、店内が込み合ってくると席を譲り合ってくれる。わたしたちがあまりにもドタバタしているので、 見るに見かねてという感じはあるが、それでもお互いのやさしさの引出しがふと開くような場所になる。1階8席という狭い空間のデメリットが、飲食店の店員とお客さんという見えない壁を壊しているように感じる。きっとみんなで何かよいものを共有しているのだ。申し訳ない気持ちもあるが、やはり嬉しい。

一方、コロナ下で急速に普及したコンビニエンスストアやスーパーマーケットの〝セルフレジ"が苦手である。たくさんの支払方法から選ぶ最初から操作が複雑で、不意になる電子音にはちっとも慣れず、機械音痴にやさしくないし、そもそも会話が生まれない。一人暮らしだった私の祖父は、コンビニの店員のお姉さんと話すのが唯一の楽しみだった。それが機械になってしまった現代に生きていたら、どれほどがっかりしただろう。私は介護施設で働いていた時、認知症のおばあちゃんと一緒によく買い物に出かけたが、 店員さんの心配りとちょっとした会話がおばあちゃんたちの大切な社会だった。

だいたい認知症の人たちが、このセルフレジを使いこなせるだろうか。やさしさの引出しが開くゆとりもなく、人が流れていく。「健常者 」の便利さと引き換えに締め出されるやさしさがあり、不便さや弱さの後ろで、そっと開くやさしさの引出しもある。なんだか職人が作った緻密な桐の箪笥のようだ。上が閉じられ、下が開く。神さまのデザインは、絶妙な相互作用なんだろうなぁ。

新しい一年はどんな年になるだろう。代わりばんこに順番に、強くなったり、弱くなったりを 繰り返しつつも生きることが許されて、そんな最中にやさしさの引出しがあちこち開いて、気づけば広がる世界に期待したい。そしてそれを新しい年の抱負としたい。そんな世界ならば、それでも生きていける気がするから。

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