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つむじの怪

小さな頃、私の父は良くも悪くもストーリー性があり、謎の説得力のある作り話が得意でした。
それは突拍子もないもので、夢のように楽しく、やたらと感情に訴えかけるものです。

その中の一つが今でも好きなのでご紹介します。


庭の隅に木が生えているでしょ。
今はもう実をつけないけれど、昔はよく実をつけたんだ。
ほら、君たちの頭にはつむじがある。
この髪の毛のぐーるぐるとなった、この中心のところだよ。
君たちはあの木の実だったんだ。
ある時にね、お父さんが庭の木を見に行くと、
木からツルがヒュルヒュルと伸びた先に赤ちゃんが生っていてね。
あら!と思いプチッと取って家に持って帰ったんだ。
そしたら最初は黄色いような色をしていたのが、どんどん白くなって今みたいな肌の色になってね。
そして君たちは人間の子になったんだ。
最初の実がつむ、その後に生ったのが弟だよ。

だから今だってあんまり駄々をこねると、君たちには見えていないだろうけどお父さんとお母さんには、
そのつむじから木の芽が生えていくのが見えているんだ。
木になってしまわないように、きちんと言うことを聞こうね。


これは弟が欲しいものが手に入らないと諭そうとしても聞かず、あまりにも床に寝転がってはダンダンと手足をバタつかせ、
やたらとデカい声を上げながらごねるアグレッシブ男児であったために、
ちょっと懲らしめようと父が創作した作り話です。

この時つむは既に弟が母のお腹に入っていたことを見ている為に「んなわけないがな」と冷めつつも、
その話が楽しくて「花は咲くのか」「何色の花なのか」「大きいか小さいか」「季節はいつか」「つむにも実が生るのか」などやたらと話の広がりを待ちテン上げしていました。

が、弟にとっては恐怖の話だったようです。
というのも母方祖父母の家では「あまり駄々を捏ねるとつむじから鬼の角が生えてきてしまい、小鬼になってしまう」と懲らしめられていたからです。

まぁ大分ひどい癇癪を起こすというか、ちょっとスイッチ入っちゃうと長いし喧しかったのです。わかります。
下の弟も上程ではないですが転がっていたので、
つむの印象としては小さな男の子は「転げる者」というイメージですね。
田舎で寛容なこともあり、珍しくもなかったのでデパートで同じような子は何度も見かけたものです。
ちなみに、つむの息子については転がろうとした瞬間夫か私の肩に担がれているので、
転がれないままその「転がり魂」だけが残っています。

双方から「つむじから角が出る」「つむじは木の子の証」と言われてしまい、
木=鬼となってしまった弟。
鬼とは桃太郎に退治され殺されてしまう者です。
もう木のことを怖がる怖がるギャン泣きです。
しかも泣けば芽が生えて木の鬼になり退治されてしまう恐怖で更にギャン泣きが止められない。
まぁ怖いわな今思えば。

当時弟が騒々しいのは当たり前だったつむはギャン泣きの隣でも聞こえるようにデカい声で話す習慣がついており、
「ねえねえ!花は!いつなの!」「花!花は何色なの!」「つむは!あの木よりも!大きくなるの!」と目を輝かせて、
ときたま弟に「あんたちょっと静かにしなさいよ芽が生えるわよ」と追い討ちかけながら質問を繰り返すカオス。

都会の中では絶対に経験できないというか、周りに家がほぼないド田舎でなければ苦情が来てもおかしくないほど煩かったんじゃないですかね。

さて、こんな作り話を聞かされて育ったつむはファンタジーが好きです。
その当時から何年も経ってから小野不由美の『十二国記』に出会いました。

十二国記の世界では子は木から生まれるのです。
木に子が生っている姿はあの日父が語った作り話そのもので、
つむにとってはなんとなく身近な設定なのですね。

お話も最高です。
「王たるものはまず自分自身の王たらねばならない」
十二国記の中の言葉です。
王は人心を失った時、不死を失いただの人となりて処刑を待つことになります。

これがつむには
「木の芽が生えて木の鬼になってしまい退治される」
に見えなくもないのですね。

積み本全然読めていません。

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