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最近の、よしなしごとを 11/26(互いのゆるやかな変化を受け入れる) 

昔、どんな人と結婚したいか?をイメージしたときに、一番最初に出てきた答えは「一緒に公園をお散歩できるような人」だった。あれはいくつのときだったかな。20代も半ばだっただろうか。みんなは将来のパートナーを想像するとき、どんなイメージを持つのだろう?

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20代を経て、人と人との関係性ってゆるやかに、でも着実に変化していくものだなぁと思う。

この人とはずっと仲良く出来そう、と思っていた人と意外と距離ができてしまったり、疎遠になってしまったなと思っても、またゆるやかに距離感が戻っていったり。そんなことの繰り返し。

友人たちと濃い時間を過ごし、もう戻ることのない時間に未だにまだまだ寂しさを抱えてしまうこともあるのだけれど、それもまた年齢を重ねてきた証拠だなぁ、なんて思ったり。

夫との関係性も、以前の恋人同士の関係性から、だんだんと変化しているように感じる。以前はただただ一緒にいるだけで楽しかったけれど、今はしんどいこと、辛いことをいかに一緒に乗り越えていくか、みたいな戦友のような感覚になることが増えた。あとは、ただただ笑い合ったり、ふざけ合っている友達同士みたいなときもあり、それはやめたほうが良い、とかそれは良くないと思う、ときっちり言うべきことは言ったり、関係性の幅が広がっているなぁと思う。

友人関係であれ、親子関係であれ、夫婦関係であれ、この、関係性の幅なるものが広ければ広いほど、お互いの変化にうまーく対応できるんじゃなかろうか。

多分、今まで何となく疎遠になってしまった友人や同僚たちとは、この関係性の幅が狭かったのかもしれない。楽しいことしか共有できない関係、しんどいときに弱音を言い合えない関係、プライベートな話はあまり言い合えない関係、色々ある。

とはいえ、一度疎遠になってしまってもまた出会うべきときが来ると再会したり、そんな嬉しいサプライズが起きるのもまた人生。

あまり深く捉えすぎず、軽やかに過ごしていくぐらいがちょうどいいのかもしれない。

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さて、あのとき私は何で「一緒に公園をお散歩できる人」と答えたんだろう。

一緒にお酒を飲みに行ける人、でもなければ(ちなみに夫はお酒を飲まない)、一緒にドライブに行ってくれる人(私達は車運転はしない)でもなかった。

この質問に対する答えは人それぞれで本当に面白いよね。友人に聞いてみると「絶対に一緒にお酒を飲める人がいい!」という人もいれば、「年上じゃないと嫌」という人もいるし、「浮気は絶対にしない人」と答える人もいる。

なぜ私が「一緒に公園をお散歩できる人」と答えたのかを考えてみれば、時間の過ごし方やリズムが同じ人が良かったのかもしれない。私はけっこうぼんやりと緑を眺めながらゆっくり過ごす時間が好きだし、パンを買ってピクニックをすることも好き。屋外で本を読む時間も癒やしの1つだ。そんな景色を一緒に楽しむことができそう、という意味だったのかなぁ、なんて一緒に日曜の散歩をしつつ考えたりする。

なにはともあれ、思い煩うことなく、愉しく生きよう、と好きな本のタイトルを胸に刻む秋の終わりと冬の始まり。





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