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人は見かけに依らない — 美容師 Maru ③

人は見た目が9割という書籍があるが、そうでもないな、と感じることが最近少し増えた。

ぶっ飛んだ容姿でも中味は質実剛健、という人々は多くいるし、

ときには、弱音を吐かずハッタリをかまして、体裁を取り繕う必要もある。

目の前で笑っている人が、本当は自分の知らない数えきれないほどの困難を抱えて生きている。そういうことだってある。

見かけから得られる情報は、たぶんよくて5〜6割くらいだ。



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Maruへの英語指導を続けるかたわらで、飲みに行ったりなどプライベートの場を共にすることが増え、Maruの人となりを少しずつ理解し始めていた。

Maruは大手ヘアサロンに所属しながら、32歳で会社を立ち上げ、サロンワークで得た現金を資産形成の王道と言われる不動産に変え、きわめて堅実に運用していた。

その不動産は、少なくとも複数を常に所有して、足元を盤石に固める。それだけでなく、10年~20年後の未来を見据え、資金計画もAプラン、Bプラン、Cプランなど保険を掛けておく。

そのために、プロの方々からしっかり話を聞きアドバイスをもらって、インターネット上の情報の裏も取ってある。

豪胆な荒くれ者にしか見えないのに、「堅実」どころか、ともすると誰よりも慎重派かもしれない。

世の中の多くの華やかに見える成果は、見た目には表れない泥臭い行動と思考の積み重ねのうえに成り立っている。



2016年も半ばにさしかかる頃、Maruは20年以上の長きに渡って勤めた大手ヘアサロンを退社し独立。

自分の店を持つのは、コスト=リスクが大きく掛かる。不動産経営を通して、理想的な物件がそうそう出てこないことも知っていた。

「出店は悪手だ」と考えたMaruは、あえてフリーランス美容師になる道を選択。「できるかぎり損失を押さえたい。最善策を取る」と語っていたのを今も覚えている。



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「いやね、最近楽しいのよ。独立してからというもの」
「それは良いですね。でも出店でなくフリーランスなんですね」

新たにMaruが働き始めた「面貸しサロン」は、独立前の大手ヘアサロンと同じ表参道にあるものの、少し駅から離れたエリアにあって、当然ながら私もそちらに通うようになった。

Maruとも関係性ができつつあったし、何より「Maru個人にお願いする」というプライベート感は、巨大サロンに腰が引けていた自分には素直に嬉しくもあった。



理美容業界に疎かった自分は、その頃に初めて「面貸し美容師=フリーランス」という働き方があることを知った。

2000年代に登場した、美容師の比較的新しい労働形態。多くのヘアサロンに残る昔ながらの徒弟制度のような社風や、サロン内の人間関係に囚われずに仕事ができる。

もちろんメリットだけでなく良し悪しはあるが、一定の技術を身に着けた美容師にとっては、自由度が高い形で就業でき、サロンワークに専念しやすい働き方だとされる。

「そもそも、 どうして独立したんですか?」

独立前には、数店舗の売上管理と、約150名の美容師の人材育成を任されていたMaru。

ある時期からグループ全体が数字至上主義に傾き、美容師たちは自分のお客様を自分で獲得する必要があった。ときには路上勧誘を行なったりもした。

完全歩合給であったため、数字を上げなければ食べていけない。どうしても「やらされ感」が拭えない美容師も現れてきてしまう。

そういった教育システムには、もちろんメリットもあるだろう。ただ、昨今の風潮からすると、どうしても前時代的であることもまた確かだ。

結果的に、どうしてもお客様へのサービス品質向上が、ないがしろになりがちだった。

「ヘアサロンの儲けファーストだったのを、お客様ファーストに変えたかった」

長年お世話になり自分を育ててくれた前サロンには、もちろん心から深く感謝している。

でも独立前のMaruは、サロン内外で自分のお客様と関わるなかで、長いことずっと自問自答していた。

「これほど自分を慕ってくれているお客様の皆さんに対して、それぞれが本当に求めている美容を自分は提供できているのだろうか?」

美容に対し、純粋な気持ちで向き合いたい。

お客様が必要としているものをきちんと提供したい。

それが独立の最大の理由だった。

独立によって、それが叶うと思っていた。



しかし、独立後。

厳しい現実が待ち受けていた。

大手サロン所属中にはアシスタント2名(セット面3面)の助けもあって月300万円あった売上が、フリーランスになったことでワンオペ(セット面2面)となり、250万円、190万円とみるみるうちにダウンしていく。

なんと半年後には、半分の月150万円まで落ち込んだ。

Maruの面貸しサロンには、集客用のWebサイトが無かった。どんな美容師であっても、施術サロンが変わるとお客様は一定数減ってしまう。初めから分かっていたことだが、自分のお客様は自分で集客をしなければならない。

また、そのサロンには際立ったコンセプトも無かった。コンセプトが無いから、集客ルートが確立しない。お客様からすれば、何がしかの選ぶ理由が無ければ、そのヘアサロンに行く理由は無い。



新たな仕事場で、カウンセリングからシャンプー、仕上げのスタイリングまで、すべての技術を1人で行ない接客をしていく日々。

売上150万円/月も決して悪くはない。少なくとも、自分と家族は食わせていけるだろう。これで細々とやっていく。そう自らに言い聞かせる。

…「細々とやっていく」?それは可能なのだろうか?本当にこのまま、150万円を維持してやっていけるか?

俺は美容師として、このまま尻すぼみになって終わっていくのか?

前サロングループでは、数店舗のマネージャーとして常に数字を作り出し伸ばしてきた。そんな自分が、半年で売上を半減させてしまった。

この逃れようのない事実に、心身ともに飲み込まれそうになっていた。

目に見えてお客様が減り、数字が減り続けていく恐怖。自分が否定され続けているような感覚。手の打ち方が分からない焦り。



当時、Maruの新サロンにヘアカットに行くと、少し時間がある日には「ちょっと一息入れようぜ」と言って、ブラックの缶コーヒーを手渡してくれた。

ずっとカフェオレ党として生きてきたが、この頃からなんとなく、ブラックもイイなと思えてきた。

白がベースの清潔感のある店内から、レジ脇の重いドアノブをグッと押し込んで、建物に外付けになっている非常階段に出る。

出たとたんに錆びた金属の床面でカンカンと足音が鳴るのが、つかの間の休憩に入る合図のようでなんとなく気分がアガる。

4F~5Fにかけての踊り場から周囲を見渡すと、同じくらいの背丈のビルに囲まれていて、さほど眺めは良くない。

この外階段はほとんど手入れされていないようで、隅っこには何ヶ月間そこにあるのか分からない感じのガラクタが積まれている。

Maruは煙草に火をつけて、「いやね、最近楽しいのよ」と始める。

空は厚い雲に覆われ小雨も降っているが、大したことはない。外を歩いてきてお店に着いたばかりだが、この場所で風に当たるのは心地良かった。

「これからは身軽なフリーランス美容師が勝つよ」
「訪問美容とか攻めるのも良いかな、どうだろうね」
「株のトレードをやってみようかと思って」
「Webについて勉強を始めたよ。絶対必要になるからさ」

ヘアカットに来て近況を聞くたびに、新しいことを始めている。あれこれと、よほど調べ込んでいるようだ。

「つくづく、情熱とエネルギーの塊みたいな人だな」

アイデアベースで話すだけでなく、試す価値があると見るや、すぐに行動に移していく。傍目で見ている分には、それまでと何ら変わらない快活なMaruだった。

実際のところは、どうして良いか分からないがために、死に物狂いであらゆる可能性を探っていたらしい。

後に聞いた話だが、当時はあまりにも将来への不安が膨らみ、夜もうなされてなかなか寝付けず、睡眠導入剤で寝入っていたという。



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さまざまな可能性に目を向け検討を重ね続けた結果、 Maruはひとつの答えにたどり着く。

それがボリュームアップエクステだった。

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