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早渕川遺跡紀行

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鶴見川支流の早渕川流域の古墳や遺跡を巡ります。
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記事一覧

鶴見川流域の歴史を調べるのに役立つ情報

鶴見川遺跡紀行の上流編が一応(?)一段落しました。 (所々取りこぼしはありますが…それはまたの機会に) そこで、ここまで引用や参照で使用した情報を、自分用のブックマークを兼ねてまとめておきます。この地域の歴史を調べる際の参考になれば幸いです。 ■県史・市史・区史横浜市史稿  横浜市史は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。 下記の2つのサイトに横浜市史の目次や索引があります。 目次で年代から調べるか、索引で調べるなどの方法があります。 横浜市の区史

中世の城 茅ケ崎城址(2)

(1)からの続きです。前編は、城郭構造や歴史についてまとめています。 いよいよ、城郭を散策。その前に、もう一度お城の全容を。 では、参ろうぞ! 北郭入り口からスロープ登った所にある広場です。 現在の北郭広場は、東西40m*南北30m*ほどの長方形の敷地。公園化に際して入り口用にスロープを削ったので、当時の北郭はもっと広かったらしい。 標高28m*、低地からの比高が15m*弱の立地です。 井戸 北郭の中央南側に井戸の跡地があります。 直径4m、深さ5mだったようで

中世の城 茅ケ崎城址(1)

以前、大塚・歳勝土遺跡を散策した際、グーグルマップさんが「近くに城址公園がある」と教えてくれたけど、当時は興味がなかったのでスルー。しかし、小机城をきっかけに中世城址にハマったので、遅ればせながら行ってきました。 ニュータウンの公園だからといって侮るべからず。 これほどまでにキレイに城郭が残っているなんて! ところで… 「茅ケ崎のケがデカくない?間違ってるでしょ」と思った方、はまれぽさんのこちら記事をどうぞ。 茅ケ崎城址公園勝田杉山神社の記事で登場した最乗寺からスタート

勝田杉山神社

今回は、勝田杉山神社とその別当寺の最乗寺、さらに近くの豪農・関家住宅を巡ります。 勝田社は、延喜式内社の有力候補(論社)に挙げられたり挙げられていなかったりと微妙な立ち位置のようですが、杉山神社を詳しく紹介しているサイト(保土ヶ谷郷土史)では、大熊社と共に論社と記載されています。 大熊社論社説はあまり見ませんが、その立地は式内社に相応しい立派な場所でしたので、個人的には論社説大賛成。となると、勝田社にも期待がかかります。 勝田町の立地勝田町は、中原街道と早渕川の交わる交

富士山は見えないけど...新吉田富士

新吉田杉山神社に行った後、グーグルマップさんが教えてくれた、近くの新吉田富士も見に行きました。 新吉田杉山神社について ↓ 富士塚シリーズ ↓ 杉山神社前から続く細道を西へ進むと、第三京浜に出ます。 急な坂道さらに急な山道を上っていくと、舗装道路が終わり… グーグルマップで「自転車が通れる道」として案内されるけど、自転車を置いて歩いて入ってみた。すると、 ずっと柵で仕切られている。そのまま進むと… あれっ、通り抜けちゃった。今はもう登れないのかな… 戻ろうと振

新吉田杉山神社

鶴見川紀行上流編に進む前に、どうしても早渕川沿いの杉山神社をまとめなければなりません。上流域の歴史を語る際、杉山社の話は避けて通れないのです。 と言う事で、延喜式内社の有力論社の一つ、新吉田町の杉山神社を巡ります。 周辺地図(新吉田社が共有マップ上に表示されないので、森農園を表示。  拡大すると、そのすぐ上に神社が出てきます) 早渕川の中里橋(島忠ホームズ近くの橋)から、大棚98号線を台地の縁沿いに進みます。迷いながらもグーグルマップを頼りに自転車を漕いでいくと… 参

山田神社と秘密の池?

「〇リー〇ッター」をパクったようなタイトル…ですが、「やまた」の由来かもしれない池のお話をします。 前回は、長~い参道を経て境内にたどり着き、社殿を見て回りました。 今回は、神社の後ろを見ていきたいと思います。 裏参道と神池道社殿の北側に裏参道があります。 この先に行ってみましょう。 中腹付近に「神池道」の碑が出てきました。 門の奥へと進んでいくと… 神池見る限り、こんこんと水が湧いている状態ではありませんが、水溜まりという感じでもありません。今は雨が降らない時期

「ヤマダ」じゃないよ!「山田」神社

山田富士を地図で調べていた時、気になる神社を見つけてしまいました。 (前前々回投稿した、山田富士の記事はこちら ↓) 何が気になったかと言うと… 古い街道沿いにあって 高い所にあって 参道が長い しかも、階段を含む神社の参道が公道(大棚14号) すっごく気になるでしょ!(強要) その名も山田神社 山田様は、全国名字ランキング第12位、推定82万人。 (明治安田生命調べ 2018) 「山田太郎・花子」といえば、かつては各種申請書類のお名前例No1。 でも、本当

「富士塚」狂詩曲(3) 山田富士

フジヅカ・ラプソディー。憧れの富士よ、いつまでも… シリーズの最終回です。これまでの記事は↓ 山田富士公園富士塚シリーズの締めくくりは山田富士。 早渕川沿いを、東山田から都筑の北アルプス(勝手な呼称)の尾根伝いに進みます。このあたりは、マンションや新興住宅群といった街並みの中にも、緑が豊かに残っている美しいニュータウンです。 ふじやとのみち かつての谷戸筋を活用した緑の遊歩道。地域のオアシスです。 公園は横浜国際プールの隣にあり、歴博通りに面しています。 池の後ろ

赤田2号墳 早渕川遺跡紀行(7)

斬新!スケルトン古墳で大興奮だったけど… 前回からの続きです。 早渕川港北ニュータウンを過ぎると、長閑な田園風景。 「ここ、横浜市?」って思います。 しばらく進むと、静かな川の流れの向こうにマンション群が見えて来ました。東急沿線の街です。 かなり途中をすっ飛ばし、こちら国道246号と早渕川の合流点。 源流を目指すなら、ここを直進(かなり先… 川から離れて246を戸塚方向へ、東急田園都市線・江田駅付近で線路をくぐり、(中略)コメダ珈琲店と運動公園の間の道を進むと…

境田貝塚 早渕川遺跡紀行(6)

縄文時代のウォーターフロント・レジデンシー 最近、一つひとつの記事がすごく重たくなっている。本当はもっとサクサクと進みたいのに…。 (↑これまでのシリーズ記事。やや重めの分量) よし、今回こそは軽~く終わるぞ! 境田貝塚杉山神社からの道を進むと、小高い所へ向かう階段が 登り切ると、あれっ!開けている。 何だろう…看板がある。 これが貝塚…? 公式情報がなかったので看板の内容をベタ打ち。 この近辺では、むしろ西ノ谷貝塚や茅ケ崎貝塚の方が大きな遺跡だったようです

杉山神社の謎 早渕川遺跡紀行(5)

鶴見川に40社以上!杉山神社軍団大集合の訳は? 早渕川親水公園また、早渕川に戻ってスタート。 歴博通りの下をくぐると 早渕川親水公園が見えます。 その先はブルーライン・グリーンラインの高架。 着工時期が異なるためか二路線の高架が分かれ、中央の空間がセンター北駅と南駅をつなぐプロムナードになっています。この両商業地域を一体化する都市デザインが、地域を繁栄させた一因かも知れません。 (遺跡のことも少し考えてほしかったけど.…) 区役所通りに出ました。左に緑のモフモフが見

切断された台地 早渕川遺跡紀行(4)

現代人に翻弄された台地とゴリラくん 前回は裏口から大塚・歳勝土遺跡に入ったので、今回は堂々と正門から入ります。 まずは、歴博に行ってみよう! 横浜市歴史博物館センター北駅より徒歩5分。常設展は大人400円。 遺跡が近いからか、古代の展示が充実しています。 歩道橋への階段。隣に車いす用の長いスロープ。 それにしても、この歩道橋には愛がない。「渡らせてやるから、この高さまで登ってこい!」と言わんばかり。 歩道橋までたどり着くと…あれっ台地がパッツンと切断されている!

大塚遺跡 早渕川遺跡紀行(3)

おすすめ!お墓付きヒルサイド住居「弥生時代のニュータウン」 (2)からの続きです。 大塚遺跡歳勝土遺跡から歩いてすぐのところに、柵で囲まれた所が… 柵の中に入ると、そこは… 竪穴住居がいっぱい! 大塚遺跡では、発見された遺構のうち竪穴住居址27軒を保存、7軒を復元。さらに高床式倉庫址と思われる10棟のうち1棟と、環濠を長さ250mの範囲で復元しています。 環濠集落環濠集落とは、外敵の侵入防御のために集落(ムラ)の周囲に濠をめぐらせたものです。弥生時代に入ると、水や