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子母口富士見台古墳 千年伊勢山台紀行(1)

貝塚、古墳、寺社が大渋滞、縄文から平安時代までの遺跡が集う丘

 矢上川古墳紀行(2)の有馬古墳へ向かう途中に見えた、モフモフと緑が茂っていた場所が気になったので、今回行ってみることにしました。ここも矢上川流域なので、実質、矢上川古墳紀行(5)ということになります。
 散策ルートは川崎市のウォーキングガイドマップを参照して、子母口住宅前バス停からスタートです。

子母口貝塚

 バス停の通りに「たちばな散歩道」の石碑があり、そこから急な細道を登ります。畑や民家の合間を抜けると、台地の頂上に出てきます。道なりに進むと、左側に公園が見えます。中に入ってみると…

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 現在は児童公園として整備されていて、貝塚らしきものがあるわけではありません。ただ案内板が立っているだけです。

 でも、小高い丘に貝塚?って不思議に思いますよね。しかも、ここは海からかなり離れています。でも…

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 縄文時代、地球の温暖化によって海進(極地の氷が溶けて、海面が上昇し陸地を浸食する現象)が起こり、現在より4mほど海面が上昇しました。
 この辺りは「古多摩湾」と呼ばれる海の湾岸で、「古多摩川」の河口近くでもありました。海水と真水が混じり合う汽水域だったので、貝が豊富に捕れたと想像できます。

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【ご参考】
縄文の海は、広かった!(神奈川県立生命の星・地球博物館)

横浜の貝塚-縄文時代編 (埋文よこはま)

柿生文化164 縄文海進と県史跡・子母口貝塚
http://web-asao.jp/hp2/k-kyoudo/wp-content/uploads/sites/22/2022/01/d8ad19becf4362fe9e30e41db86c37c7.pdf

まずは、縄文時代の遺跡クリア!


橘樹神社

 公園を後にすると、タイトル写真の場所にでてきます。坂道を下りきると、お寺の隣に小さな神社が見えます。

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 日本武尊命と妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀った橘樹神社。古代のこの地域(橘樹郡)の神社かな?

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 日本武尊(右)と弟橘媛(左)の碑 (山岡鉄舟の書)

 日本武尊が東征の際に走水(横須賀)から上総(千葉)まで渡ろうとしたが、海が荒れて船が進めなくなったので、弟橘媛が自ら海に身を投じ荒波を鎮めた。7日後にこの地に妃の櫛が流れ着いたので、御陵を作って櫛を納め二人の神を祀った神社を建てたとのこと。

 橘樹神社は他に2カ所(千葉県茂原市・横浜市)あり、弟橘媛は千葉県で多く祀られている。袖ヶ浦、富津(布津)の地名の由来は、妃の来ていた衣が流れ着いた場所であるからだとも言われている。

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 小さいお社だけど、向拝の下の彫刻は立派です。
 創建年など不明ですが、伝承が正しければ平安時代初期までには建立されていたはず。でも真偽のほどは分からない。一応、橘樹神社もクリア!


子母口富士見台古墳

 橘樹神社から西へ向かい、坂道をまた上っていくと…

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 住宅地の真ん中に、ポツンと立っています。

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 墳丘径は約17m。写真の裏側斜面もかなり削られているので、元々はもっと大きな古墳だった模様。そもそも、古墳なのか塚なのかも不明。
 いずれにしても、この台地の頂に立っているので、象徴的な何かが埋められているのかもしれません。

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 子どもたちが遊んでできた跡かな?それとも、富士山をイメージして作られたのか?
 弟橘媛の遺品を納めた御陵にしては、ちょっと小さいかなと感じるのですが、皆さんどう思いますか? まあ、なんだか分からないけどクリアー!

 昔の写真を見つけたので貼っておきます。(この時点で、もうかなり削られているけど)


中原街道

 古墳から道なりに少し下ります。眼下に広い道が現れ、その先にはまた丘陵地が見えてきます。子母口富士見台と千年伊勢山台の合間、まるでひょうたんのくびれを跨ぐような道。信号を渡って振り返ると…道が120度の角度で左右に広がり、双方の先には遠く景色が見通せます。
 そう、この道が中原街道です。

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武蔵小杉方面

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佐江戸へ向かう方面

 車で通ると一瞬なので「カーブを曲がったら見晴らしが良かった」程度ですが、実際に歩いてこの場所に立ってみると不思議な感覚に襲われます。

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 「今昔マップ」さんで明治時代の街道の様子と比べてみました。今と変わりありませんね。

 中原街道は古東海道でした。地域の役所や重要寺社を結ぶように街道は作られていたので、後述する橘樹郡官衙(たちばなぐんかんが=役所)と主要寺院の影向寺(ようごうじ)に接続する道として、この場所を通っていたのでしょう。
 左右両方の坂道を上ってくると高台があり、そこから平野が見渡せるというシチュエーション。わずかな標高で、かなりの視覚的な効果があったのではないでしょうか?
 遺跡とは言えないけど今日一番感動した場所なので、とりあえず、古東海道ゲットだぜ!

【ご参考】
神奈川県における駅路に関する一考察(小高武雄 日本土木学会論文集)
難しいお話しですが、街道と古墳の位置など興味深い内容があります。

 地理院地図に今回訪れたポイントを合成。
 矢上川が蛇行して台地を削った後がくっきり。中原街道のひょうたんのくびれもしっかり確認できますね。

長くなりそうなので、次の回へ続く。 



オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。