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杉山神社の謎 早渕川遺跡紀行(5)

鶴見川に40社以上!杉山神社軍団大集合の訳は?

(2022/10/8)・記事が長すぎる・参考記事のリンク切れ・現在の私の杉山神社認識に変化したなどの理由で、当記事を再編集しました。

早渕川親水公園

また、早渕川に戻ってスタート。

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歴博通りの下をくぐると

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早渕川親水公園が見えます。

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その先はブルーライン・グリーンラインの高架。
着工時期が異なるためか二路線の高架が分かれ、中央の空間がセンター北駅と南駅をつなぐプロムナードになっています。この両商業地域を一体化する都市デザインが、地域を繁栄させた一因かも知れません。
(遺跡のことも少し考えてほしかったけど.…)

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区役所通りに出ました。左に緑のモフモフが見えます。


武蔵国茅ヶ崎 杉山神社

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湧水のきれいな池の先に…

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杉山神社「茅ヶ崎社」があります。

まず、「なぜ、都筑区に茅ヶ崎?」と思った方横浜の情報通「はまれぽ」さんが調べていますので、どうぞ。

つづいての疑問…


横浜市に杉山神社多すぎの件

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「茅ヶ崎社」と名が付くのだから、他にも分社があるの?
はい、なんと現在44社!しかも、そのほとんどが鶴見川流域

↑ グーグルマップの「杉山神社 関東」検索図(拡大地図で40候補見れます)

ネット上の情報をざっくりとまとめると…

・平安時代の838年に、官幣社となった由緒正しい神社。
・江戸時代には72社も存在した。
・祭神は様々だが、日本武尊や五十猛(イソタケル)が多い。
・格式ある論社は武蔵国都筑郡に多い。

かつては72社もあったという…恐るべし浸透力。

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よし、杉山神社の謎を調べてみよう!(かる~く思ったことが誤りだった…)

謎その一、誰が作った?

天武天皇・白鳳3年(674年)、(安房神社神主)忌部(いんべ)勝麻呂が、神託により朝廷に奏上して武蔵杉山之岡に神籬(ひいろぎ)を立て、忌部三神を祀って弟・義麻呂を奉仕させたのが杉山神社の始まりという。

忌部氏?あまり聞かない神秘的な響きの名前。
勝麻呂さんが72社も建てたのかしら?まずは、忌部氏から調べよう!

忌部氏について
忌部(いんべ)氏は、海部(あまべ)氏・中臣(なかとみ)氏らと共に、古代よりヤマト王権の宮廷祭祀を司った名門氏族。大まかに、次のような役割分担があったらしい。

中臣氏 祝詞を奏上する
忌部氏 玉や衣などの祭具の奉納 宮殿造営
海部氏 海産物を奉納する

忌部氏は天太玉命(アメノフトダマ)を祖神とし、奈良県橿原市忌部町を根拠地に、各地(阿波・讃岐・紀伊・出雲・安房など)に奉納品を生産する品部(ともべ)という集団を抱えていた。

阿波忌部氏
忌部氏は弥生後期から古墳前期(3~4世紀)にかけ、海部氏と共に吉野川流域を開拓。阿波地域で勢力を拡大し阿波忌部氏となる。
その後、産物やその技術を携えて、吉野川流域から黒潮に乗り紀州、尾張、東海、伊豆半島、三浦半島、房総半島南部へと定住域を広げたそうです。

阿波忌部氏の東遷
忌部氏の祖神・天太玉命の孫で崇神天皇の子・天富命(アメノトミノミコト)は、天皇の命を受け安房への移住計画を立て、忌部一族を率いて東遷。(3世紀後半~4世紀前半)関東地方でも勢力を広げます。

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阿波忌部氏の技術
阿波忌部氏の主産業は麻や綿の栽培、養蚕、織物、製紙だとされていますが、木材加工、造船、鉱物業や製鉄などにも通じていたようです。


中央忌部氏の没落
しかし、平安時代になると中央忌部氏は祭祀仲間の中臣氏とその系統の藤原氏によって、徐々に宮中祭祀から締め出され衰退の一途をたどります。国造などに忌部氏の名がないのは、中央の衰退が響いていたのでしょうか?
それでも、日本各地には、忌部氏由来の地名は多く残されています。
(名門氏族でありながら歴史の表舞台から消えてしまった忌部氏。ミステリアスなイメージからか「織田家の祖先」「陰陽道」果ては「ユダヤ人説」など、史実とオカルトとでネット情報は玉石混交…)


謎そのニ、なぜ鶴見川流域?

安房の忌部氏は、利根川を経由して茨城や栃木にも進出していた。その一部は東京湾西岸の鶴見川流域に定着したようです。

ところで、多摩川の左岸(東京側)には杉山神社はありません。もしかしたら、既に強い勢力が住んでいたので、そこを避けて鶴見川本流や早渕川に入ったのではないでしょうか?

思い出してみると大塚遺跡の記事で取り上げたように、多摩川左岸には荏原台古墳群、右岸下流には日吉や加瀬台の巨大な古墳を作る権力者がいました。その集団は、弥生時代の久が原式土器グループの末裔だと考えられています。

一方、鶴見川上中流や早渕川では、弥生後期に朝光寺原式土器グループが丘陵地側に追いやられていました。やや辺境の地であった都筑に、阿波忌部氏が入り込み、先住民と共に開拓したなら…

久が原式グループが低地湿地での稲作に力を入れ始めた頃に、敢えて山がちな場所で、そこで生活できる穀や麻の栽培、養蚕、鉄の精錬をもたらしたと考えることはできないだろうか?

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(2018年版横浜・川崎標高図 丸は港北NT付近)

古代多摩川と鶴見川の河口は一体化していたという。
河口近くの緩やかな港北ニュータウンの丘陵地は、最初の宿営地にぴったり。


謎その三、なぜ神社を作ったか?

忌部氏研究者の林博章氏のインタビュー記事から

弥生時代から古墳時代にかけて大和朝廷を整えるときに、日本の基本的な文化や衣食住に革新をもたらしたのが忌部氏です。
弥生時代までは銅鐸や銅剣を使って弥生の神に祈りを捧げていました。
それから日本(倭国)の建国をしようとしたのですが、東アジア地域は寒冷や洪水等の気候変動で被害を被り、よくない状況にありました。
弥生の神様が言うことを聞いてくれない、というような。
ちょうどそのとき中国の道教思想が流行っていましたので、日本に道教が持ち込まれました。
そういったものと忌部がもつ森の思想が一緒になりながら、神社のシステムが出来てきたのです。

(現在、これらの記事は閲覧にログインが必要なようです)

なんとなく、阿波忌部氏のアウトラインが見えてきたような…忌部一族が入植した地で、守護神として次々と杉山(自然)を祀っていったのでしょうか?

鶴見川の流域にも阿波忌部氏に関係のありそうな地名も残っています。


謎その四、同名神社なのに祭神が色々?

忌部勝麻呂により高御産日命(タカムスビ)・天日鷲命(アメヒワシ)・由布津主命(ユフツヌシ)の3柱が祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった。 

 杉山神社wikipediaより

阿波忌部氏の祖神は織物の神・天日鷲命だが、今の杉山神社の祭神は日本武尊や、林業や航海の守り神・五十猛命が多い。
【ご参考】杉山神社の御祭神の一覧

そのことから、本当に杉山神社に忌部氏がかかわっているのかどうか疑問視する向きもある。
ローカル過ぎる神社なためか、忌部氏と杉山神社についてのアカデミックな資料は見当たらず、郷土史研究家が地道に調べ上げたものばかり…。

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(境内の石碑 由緒が記されていたらしいが…)

そこで、これまでの資料をもとに御祭神色々問題を自分なりに考えてみる。

①日本武尊や天照大神、素戔嗚尊は、神社が廃れて御祭神が不明になった時に、当たり障りのない神様として選ばれた可能性がある。(明治以降、天皇制を強化するため、そのような流れは全国であった。)

②東遷には、阿波以外の忌部氏や海部氏の一部が加わっていた可能性がある。出身地域によって祭神も様々なので、いろいろな神様が祀られた。(例:出雲系の人々=五十猛命)

③いっそのこと、杉山を祀る。
町田市三輪町の椙山(すぎやま)神社の御神体は、杉山そのもの。同町の山が、奈良・三輪神社の御神体の三輪山に似ていることから、この地に建立。

林氏の言う「自然の山林を祀る」に近い発想か。

④製鉄を行う人々が、製鉄の神(ヤマトタケル)と、製鉄に必要な木材の神(イソタケル)を両方祀ったという考えも。

当時の稲作を支えていたのは鉄であった。
食料確保のため開墾⇒鉄器を量産⇒農産物収量up⇒人口増加(無限ループ)
日本武尊と五十猛命の2柱を祀った理由として完璧な回答か。実際、鶴見川上流域は、鉄にちなんだ地名や神社が多い。(赤田、黒川、柿生、黒須田川=赤と黒は鉄の色、その他、鉄町、剣神社…)

しかし、これは忌部氏限定の説とは限らない。忌部氏も製鉄技術を有していたが、秩父系の製鉄集団が関わっていた可能性もある。

う~ん。人生~色々、神様も色々咲き乱れるの~♩


謎その五、総本社はどこ?

実は、72社もあった杉山神社軍団のボス神社が何処なのか、未だにはっきりしていません。

由緒があると言われる有力社(=論社)が、6社(4社とも)。
その中の一つが、忌部勝麻呂さんが最初に忌部・三神を祀った神社と考えられています。

※茅ケ崎社は神奈川県神社庁では天照大神、神奈川県神社誌では五十猛命、
新編武蔵国風土記稿では日本武尊を祭神としている

どこも忌部祖神を祀っていないぞ~!!
気を取り直して…特に有力と考えられているのが次の2社。

茅ヶ崎社 忌部氏創建の言い伝えが残る。

西八朔社 府中にある武蔵国総社「大國魂神社」の六之宮であるため、有力視されている。

う〜ん、これだけでは分からない。

結局、何一つ、謎を解き明かすことが出来ていないな。
杉山神社…深い。とても一回の記事で扱える話ではなかった。

しかし、古代を調べていていたら近所の神社につながるとは…これも何かのご縁かも。とりあえず、6つある論社だけでも訪ねてみようかな。
はまれぽさんも、杉山神社全社制覇の連載途上…)


次は、杉山神社の脇から都筑中央公園

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【杉山神社シリーズ】



【早渕川遺跡紀行シリーズ】


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。