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「やさしさについて」

音楽のなかには言葉があるし、
言葉のなかにもまた音楽がある、
ということを考えている。

「言葉」というのは、
必ずしも歌詞である必要はなくて、
その音楽のなかにある願いだったり、叫びだったり、想いのようなものでもあるかもしれない。

なぜこのようなことを書いているかというと、
先日羊文学のコピーをしているときに、
まるで文章を書いているかのような気持ちになったからだ。

「文章を書いている」と言ってしまうと、
静かで穏やかな響きがするかもしれないが、
私にとって、文章を書くことは「叫び」だ。

悲しみだったり、怒りだったり、
絶望を叫ぶために、
私は文章を書いてきた。
書き殴ってきた、
という方が近いのかもしれない。

家族が寝静まった家で、兄のパソコンを借りて、
誰も起こさないように、時には涙を流しながら、
ひとりで静かに叫んでいた

まさかドラムを叩きながら、あの気持ちになるなんて思ってもいなかったけれど、
あのライブの日、
きっと私は叫んでいたんだと思う。

羊文学のコピーをする、というのは
私にとってとても大きな出来事だった。

ドラムを始めて4年目の2022年、
ドラムの勉強会で叩いた羊文学の「ソーダ水」
当時は、練習しても上手くなった気がしなくて、
どうやったら上手くなれるかも分からなくて、
ドラムは数ある趣味のひとつになるんだろうなと思っていた。

けれど、「ソーダ水」を叩いた時、
皆の反応がいつもと少し違った。
「スタイルが合っていると思う」
そう言われて、そこから私の挑戦が始まった。

まずは、「重たいドラム」を歌うように叩くこと
そして、歌詞の世界観を、ドラムで表現すること

この目標を掲げてから、
やるべきことが明確に見えはじめた。
最初は伝えたい想いが大きすぎて
力が入ってしまったり、
自分が叩いていると思っているドラムと、
実際のプレイに乖離があったり、
なかなかうまくいかなかった。

けれど、1年の模索を経て、
次第に手応えを感じられるようになってきた。
ライブ映像を見返して、
満足できることも増えた。
そして、
原点「羊文学」にチャレンジするなら今だ、
と思った。

羊文学をコピーするにあたって、
たくさんのこだわりを詰めこんだ。
一つ目は、セッティング。
羊文学のフクダフロアのセッティングは
シンプルで、美しい。
シンバルの数を1つ減らし、
太鼓類と椅子をすべて同じ高さに揃えた。

そして、機材も新たに増やした。
ずっと欲しいと思っていたスネアドラムは、
フクダヒロアと同じCANOPUSのバーチにした。
他にもいくつか試打させてもらったけれど、
ふくよかで、優しい音が気に入って即決だった。

そして、メンバーと練習していくなかで、
今度はシンバルの音が浮いていることに
気づいてしまった。
調べてみると、フクダヒロアはZildjianのカスタムKシリーズの"ダーク"シンバルで揃えているということが分かった。

一晩悩んで、買うことを決めた。
買わずに未練があるまま終われないと思ったからだ。
はじめて買ったシンバルは想像以上に重たくて、
サステインが長くて、
スネアともギターボーカルのジャガーとも
相性がばっちりだった。

こだわりの2つ目は、歌詞の解釈。
私はボーカル塩塚モエカの書く、
痛々しいほどに美しい歌詞が好きで、
彼女の想いと、
自分の解釈の中間点を探したいと思った。

いつもの歌詞ノートに、手書きで歌詞を書いて、
じっくり見つめあうことはもちろん、
インタビューを読めるだけ
たくさん読んでみようと思った。
インターネット上のインタビューでは飽き足らず、メルカリで昔の雑誌を買ったりして、
彼女の言葉をかきあつめた。
主題歌をつとめていた映画を見てみたりもした。

知りたいことのすべてがそこにあったわけではないけれど、
彼女がわたしに少し、近づいてきてくれた気がした。

一番歌詞と見つめあった曲は、
1stアルバム『若者たちへ』収録の「若者たち」

静かに歌い上げられる部分と、
轟音が掻き鳴らされる間奏の対比が印象的な曲で、
寝ている恋人の横で、大きな気持ちと闘いながら眠れずにいる主人公の歌だと、私は思った。

痛みなど掻き消すくらいに
途方もない愛で僕ら、
夜を越えよう
優しくなれるように

羊文学「若者たち」

本番この歌詞を叩きながら、
ジャガーとダークライドの轟音のなかで、
逃げだしたくなるくらい、
胸がいっぱいになった。

まるで、ひとりで文章を書いていた
あの時のように。
きっとあの時私は、叫んでいたんだと思う。
たくさんの眠れない夜を超えて、私は少しは強くなれただろうか。


今回のライブのテーマは「やさしさ」だった。
メンバーも言葉と音を大事にしてくれそうなお2人にお願いした。

ベースの子にいたっては、ほとんど関わりがなかったけれど、数回お話しさせてもらった時に、
この子となら「やさしさ」が表現できると確信した。

練習に追われる日々のなかで、
毎日「やさしさ」とはなにか考えた。
「やさしさ」は難しい。
皆に優しくあることは、
時に優しくないことに繋がるかもしれないし、
自分にとっての「やさしさ」が相手にとってはそうでなかったりもする。

ゆっくり考えて、
今回のライブで表現したい「やさしさ」は
「愛」と「強さ」であると思った。

「愛」はメンバーへの愛、楽曲への愛、
そして言葉への愛。
そして「強さ」は、表現への意思。

これらが集まった時に、
私が表現したい「やさしさ」が
生まれるのではないか、
そう考えた。

ライブが終わったあと、
メンバーから「ありのままの自分でいれたことが嬉しかった」と言われてハッとした。
きっとあの時自分は「ありのまま」でいられて、
だから、文章を書いている時の気持ちになったのだと。
社会的制約や世間体をすべて取っ払った時の、
一番内側の自分が叫んでいたんだと、
そう気づかされた。

そして、嬉しかったことがもうひとつ。
ボーカルがMCで「ともこすさんのおかげで自分がここにいる」と言ってくれたこと。

ずっと承認欲求と闘ってきた自分が、
すごく救われた気がして、
びっくりするくらい躊躇いなく涙が溢れた。

あまり他者には開示しない部分の自分、
思春期に自分を否定され続けたこと、
人の心が壊れていくさまを
何もできずにただただ見ていたこと、
人間の嫌な部分をたくさん見てしまったこと、
ずっとその時の穴が自分の中にぽっかり空いていて、
長年それがトラウマのようによみがえってきて
とても苦しかった。

どうにか自分の心を保ちたくて、
自信という名の鎧が欲しくて、
様々なことにチャレンジしては努力してきた。
自分が自分のことを好きでいれば、
自分は報われるんじゃないかと思った。

けれど、それは違った。
あの時の傷は、あの時にしか癒せなかったし、
過去の自分は今の自分でどうにかできるものではない
それを認めた時、やっと楽になった。

自分の穴を、今の自分や周りの人間で埋めようとするのをやめた。

けれど、彼女が言ってくれた一言はびっくりするくらい自分の中にすっと入ってきた。
今の自分も、過去の自分も
少しずつ救われたような、
そんな気がした。

今回のライブで組んでくれた2人は、
とってもやさしい。

ベースの子はなんといっても
その素直さが魅力で、
彼女のベースには、
内側から溢れでる「やさしさ」が
そのまま乗っている。
初めて合わせた時に、
「自分がやりたかった羊文学は、これだ」
と確信することができるほど、
私のイメージにぴったりだった。

言葉をまっすぐに受け取れる吸収力・適応力は、
ベースを始めて1年と思えないほど。
そのやさしい音色が今回の羊文学を支える、
最後のひとピースだった気がしている。
今年彼女に出会えたことは、本当に幸せで、
ありがたいことだなとつくづく思う。
私の言葉や想いを受け止めてくれて、
どうもありがとう。

ボーカルの彼女は、自分のことをやさしくないと思っている時がある、
というのを私は知っている。
けれど、私からみえる彼女は、とってもやさしい

話す時の表情も、選ぶ言葉も、その歌も。
たくさんある歌詞のひとつひとつの言葉を
大事に大事に歌っているのを私は知っている。

一緒に作ってくれた歌も、
がんばって組み立ててくれたギターも、
サプライズのMCも、とっても嬉しかった。
どうもありがとう。
あなたがやさしいのを私はいつも知っているよ。

羊文学をやり終えた今、私はどこに進むべきか、
実は少し迷っている。
というのも、羊文学でありのままの自分を曝け出しすぎて、
自分の中の表現の引き出しが空っぽになった気がしているからだ。

豊かな表現にはきっとインスピレーションが必要で、
それにはきっと豊かな自分が必要。
そして、豊かな自分を作るには、インプットをためなくてはならない。

幸い私は今スウェーデンにいて、
2ヶ月間軽音から離れてゆっくり自分と向き合う時間がある。
そこで見たものや感じたものを、
新たな表現にできるといいなと思っている。

そして、もうひとつの目標は、自分のドラムの技術を高めること。
「表現」をするためには、説得力が必要で、それには技術がいる。
すべてを「これは表現だから」という言い訳で誤魔化すのではなく、
いかなる時も攻めの姿勢で、貪欲に努力を積み重ねていきたい。

言葉よ、どうかいつも側にありこれからの奇跡に全部形を与えてください

羊文学「マヨイガ」

「この歌詞を体現するようなドラムを、叩きたい」とMCで私は言った。

これからの私を表現するのは、
文章かもしれないし、
ドラムかもしれないし、
はたまた別の手段であるかもしれない。

けれどしばらくは、
ドラムの表現も、文章の表現も
自分の中で大切にしていきたい。

「言葉は音楽であり、音楽もまた言葉である」
と私は思う。

まるで語りかけてくるような、
歌っているようなドラムを
追及していけたら、
今の自分をどんどん超えていける、
そう思っている。

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