見出し画像

『ジョン・ウィック:パラベラム』は人が死ぬ瞬間をもっとも愉しく切り取ったフィルムである。

 親しみと哀愁の男、キアヌ・リーブス。そんな彼の新時代の代表作が、この『ジョン・ウィック』シリーズだ。かつて裏社会では最強と呼ばれ、今では足を洗った元殺し屋のジョン・ウィックは、最愛の妻からの贈り物である愛犬の命を奪われ、再び暴力と硝煙の世界へと足を踏み入れてゆく。その復讐劇を終えたわずか5日後、裏社会のルールによって今度は安住の住処を奪われ、ジョンはこの世の全ての殺し屋から狙われる最強の賞金首となった。この男に安寧の日々は再び訪れるのか、彼を裏社会へと引きずり込む重力とは何か。その答えは、またしても超絶的なアクションと、悪夢的なロケーションで語られてゆく。括目せよ、ハリウッドアクションの現状の最高到達点、『ジョン・ウィック:パラベラム』である。

 『ジョン・ウィック』の醍醐味と言えば何かと問われれば、やはりアクションだ。今もっともノリにノッているアクション・スタントチーム「87eleven Action Design」によって設計された、目にも止まらぬ体技と銃火器へのこだわりが織りなす「ガンフー」は、世界中のアクション映画ファンを虜にした。柔術で相手の体制を崩し、確実にヘッドショットで仕留める、という一連の流れを基本とし、一対多でありながら敵を一人ずつ順に漏れなく捌いていくジョン・ウィックのアクションは、流麗で無駄がない。実践的なプロフェッショナルの所作に思わず見惚れるような、そういう魅力と色気がジョン・ウィックには常に漂っている。

 本作は『チャプター2』ラストから地続きの物語であり、ジョンはすでにお尋ね者として命を狙われる立場にある。それにより、冗長な状況説明を省き、開幕からジョンVS殺し屋のアクションに振り切ることができる。これは考え得る限り、最高のスタートダッシュだ。常に誰かに狙われるというジョンの悪夢的な状況に観客は瞬時に引きずり込まれ、前代未聞のアクションでおもてなしされる。この気配りに喜ばない映画ファンがいるだろうか。本作に至っては、全てのアクションシーンが「至福」と呼んでもいいくらいに最高の映画体験だった。

 まるでこの世には殺し屋しかいないのか、というほどに街中に配置された殺し屋たちがジョンを次々と狙い、また一人また一人と捌いては、次の殺し屋が現れる。殺し屋の武器や手口、あるいはシチュエーションが様変わりしながらシームレスに続いていく対殺し屋の描写は、まるでゲームのステージのように進行し、休む暇なくジョンは闘いを強いられる。

 これまでの作品でおれたちがジョン・ウィック先生から学んだことは、「ペンで人は殺せる」という世界の理だった。だが、『パラベラム』はその先を往く。人は一冊の本で殺せるということを、一人の殺し屋の命を犠牲に教えてくれるのだ。

 にわかに信じがたいが、確かにジョン・ウィックは、本で人を殺してしまうのだ。自分よりも背が高い殺し屋に対し、まるでそれが一つの鈍器であったかのようにハードカバーの本を相手の顔面に叩き付け、時には盾のように相手の攻撃を凌ぐ。相手を弱らせた所で本を相手の口内に突き付け、さらには首に突き立てて思いっきり振り下ろす。この衝撃のブック・フーを、言語に置き換えるということは不可能だ。ぜひご自身の目で確かめて欲しい。

 それだけに止まらず、ジョン・ウィックにかかれば馬もバイクも武器と化す。目まぐるしくアクションが連続する本作だが、観客を飽きさせないようアクションのバリエーションをこれでもか!と用意する姿勢には頭が下がる。だがいくらなんでも、キアヌ・リーブスが馬を操って敵を倒すというビジョンを、誰が予想できただろうか。この場合の「馬を操って」は文字通りである。馬を意のままに操り、馬脚で追手を撃退するのだ。この正気とは思えないアクションの連発に、次第に脳がマヒしてゆくのが手に取るようにわかる。映画『ジョン・ウィック』は、「いかに人を殺すか」を常に考えている人間が創り出した、最高の自己満足映画なのだ。

 しかししてその自己満足は、我々観客を楽しませる方向にも志向されているのも事実だ。CGを使わず、役者の生身の演技やスタントを主軸としたコンバットでリアルなアクションは、そのどれもが絶妙なカット割りや引きの画で収められている。そのため、殺陣のスピーディーさにカメラが追いついていないといったことがなく、作りこまれた背景や夜の世界とアクションが見事に調和している。とくに編集のテンポが小気味よく、あまりに超現実的で過剰な光景が連発するため笑いが生じるのだが、それも編集の力だろう。とにかく、実践的=リアルな戦術がメインのアクションと、シチュエーションの現実離れ感とのギャップが何とも言えぬ魅力を放つのが『パラベラム』の真骨頂だ。

 さらに本作は贅沢なことに、ジョンの相棒として一時的にハル・ベリーが同行するシチュエーションまで付いてくる。彼女が演じるソフィアはジョン同様に愛犬家であり、その犬を撃たれたことで覚醒、壮絶なる復讐劇に加担することになる。ジョン同様に自身はガン・フーの使い手でありながら、訓練されたワンちゃん2匹をファンネルのように使役し敵を襲わせるという戦法で次々と屈強な男どもを薙ぎ払ってゆく。このシリーズにおいて「ついに犬も武器に!」という決定的瞬間の驚きたるや、筆舌に尽くしがたい。

 そんなジョンに対抗できる敵がいるとしたら、それはもう忍者である。NYに佇む寿司屋「平家」。客に和の心・SUSHIを振る舞う彼らの正体は、実は殺し屋である。表の顔は寿司職人!裏の顔は最強の暗殺者・ゼロ!!テーマソングは「にんじゃりばんばん」!……えっ、正気!?!?

 しかしして彼らは、確かに最強の刺客であった。闇に隠れて闇より出で、敵を葬る姿はまごうことなきNINJA!日本刀を武器にジョンに迫る最強の暗殺者ゼロ、しかし彼はジョンをリスペクトしていて…。ちなみにこの寿司忍者チーム、ヤヤン・ルヒアンが在籍するという史上まれに見るワガママ編成なので、とにかく強いしこちらの動体視力が試されるところも本作の大きな魅力となっている。

 超絶的なアクションに彩られて描かれるジョン・ウィックの逃避行の悪夢感は、前作よりもさらに強まっている。そもそも前作のラストから地続きである都合上、ジョンは開始から手負いで疲弊しており、全編見渡しても休息にあたるシーンはほとんどない。常に闘うか、裏の世界で生きる覚悟を試される。あまりにしんどすぎる運命がジョンに降りかかり、観客も自ずとハラハラさせられてしまう。

 思えばジョンの人生は「奪われる」ことの連続であった。愛する妻の病死から始まり、愛犬と友人、家と車、ついには人生そのものを奪われてしまう。彼に残されたのは復讐心と殺し屋としてのスキルだけで、向けられるのは畏怖か尊敬であり、そのどちらも殺し屋ジョン・ウィックに向けられたものだ。ジョンは陽のあたる表社会の象徴を全て理不尽に奪われ、殺しと掟の裏社会からは抜け出せなくなっている。そしてついに、本作ではその「裏社会」そのものにジョンは狙われることになる。ほとんど孤立無援と言っていい局面で、なんとか生き延びるのが精一杯なのだ。

 この終わりのない、煉獄のような苦悩を生きる中で、ジョンの願いは「亡き妻との思い出と共に生きること」ただ一つ。そのためだけに全ての殺し屋、そして裏社会そのものと真正面から闘うことを誓うジョン・ウィック。「これまで仕えてきた、そしてこれからも」という服従の言葉を強いられ、指と指輪を奪われるという屈辱に耐えに耐えたジョンが、ついに反旗を翻すシーンの、なんと燃えることか!表と裏、どちらの社会でも生きることを許されなかった男の壮絶な復讐劇の始まりを予感させる作品のタイトルが「Para Bellum (戦いに備えよ)」とは、構造として美しすぎる。

 かくして、ジョン・ウィックという男の人生の一つの区切りと、新たな始まりを予感させる『パラベラム』は、前代未聞のアクションと愉快な殺人描写に舗装された地獄巡りの一作である。だが、すでに本作を鑑賞済みの方なら、次回作への期待はすでにメーター振り切っているはずだ。『ジョン・ウィック』を超えるのは『ジョン・ウィック』でしか有り得ないし、ついにあの男が仲間になるのだから。その復讐の果ての風景に到達できるまで、我々も同じ地獄に足を踏み入れるしかない。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。