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映画の無限の可能性と『THE GUILTY ギルティ』


 すごい映画を観た。観てしまった。カメラは小さな部屋から一歩も外を出ず、派手なアクションや感情を煽るBGMもほとんどない。それなのに、抜群に面白い映画は作れてしまうことを、本作から学んだ。映画ってすごい。

緊急通報指令室のオペレーターであるアスガー・ホルムは、強盗の通報にパトカーを手配したり、酔っ払いや麻薬常習者の電話に付き合ったりと、小さな仕事をこなしていた。そんな中、ある女性から一本の電話が入る。その異常な状況から、今まさに電話の相手が誘拐されているとアスガーは判断。車の発車音、雨の音、犯人の息遣い。ヘッドセットから伝わる「音」だけを頼りに、アスガーはその女性の救助を試みる。


 主人公は緊急通報に応対するオペレーター。日々無数にかかってくる電話から相手の状況や現在位置を聞き出し、緊急を要すると判断すればパトカーや救急車を手配する。人の命に係わる重大な職務とも言えるが、オペレーターたちの表情は重苦しい。閉塞感漂う狭いオペレータールームの照明は暗く、ひっきりなしに着信音が鳴り響く、異様な環境。そこに一本の電話がかかってきたことで、物語は一気に動き出す。

 たった今誘拐されている女性からの電話。電話の主はひどく錯乱しており、威圧的な態度の犯人が極めて近くにいる。後ろからは震動音が聴こえるためおそらく車内、どうやら外は雨が降っているらしい。実はこれらの情報は、鑑賞中に筆者が想像したイメージに過ぎない

 本作はアスガーが務めるオペレータールームのみを舞台とし、誘拐現場や電話の主の視点に移行することは一切ない。そのため、観客は電話の音に耳を傾け、想像を掻き立てる。車のトランクはどれだけ狭いだろう、取り残された彼女の子どもはどんなに心細いだろう。映画本編では直接描かれない、観客の脳内に浮かぶ誘拐のイメージ映像が、『THE GUILTY ギルティ』という映画をよりスリリングなものに昇華させていく。主人公が必死に救おうとしている女性の、その顔すら知らないという構図こそ、本作の不謹慎な面白さの秘訣である。

 与えられた情報から、キャラクターが置かれた状況を頭の中で推理する。まるで小説を読んでいるような不思議な感覚がつきまとう88分間、次第に観客はアスガーに深く感情移入していく。発信元の携帯電話のおおよその位置情報は辿れるが、詳細な位置はつかめない。相手からの着信を待つしかなく、この部屋を出て直接助けに行くわけにもいかない。このもどかしさに身悶えするアスガーを熱演するのが、スウェーデン俳優ヤコブ・セーダーグレン。カメラが部屋の外から出ない特性上、映像の中心はずっとアスガーさんなわけだが、迫真の演技で観る者を飽きさせない。終始祈るような顔をしたオジサマが映ってるだけなのに面白いというのも、本作の大きな発見だ。


 「音」という情報源だけで、観たことのないはずの光景を「観た」と錯覚させてしまう、研ぎ澄まされた映画技法が織りなす新感覚シチュエーションサスペンス。スクリーンに投影される映像と、観客の脳内で繰り広げられる想像映画が絡み合い、それがリンクするという構図を取っているため、観た人の数だけ『THE GUILTY ギルティ』という映画のそれぞれ異なるビジョンが生まれるはずだ。一人で観に行くのはとても勿体ない、語り合う友と肩を並べて、一緒にドキドキするのが最良の映画体験になるはず。

 それだけでも十二分に面白いというのに、本作は人間ドラマでも深く抉ってくる。限られた情報から相手のパーソナリティを想像するという行為は、他者へのレッテルを貼りつけることでもある。その思い込みが崩された時、人は深いショックを受けることもある。そしてそれは、SNSという場ではありふれた、日常的な光景に他ならない。アスガー、誘拐された女性、そして「犯人」。guilty=「罪」という言葉で深く結びついた三人の登場人物が迎える結末を観て、そして「聴いて」みてほしい。


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