見出し画像

映画『ゴールド・ボーイ』嗚呼過ぎ去りし黄金の刻よ。

 一人の怪獣少年として、金子修介監督には勝手に恩を感じている。なので、『ゴールド・ボーイ』の前売り券を買った。あらすじも調べず、予告編すらも観ず、完全に信用取引のみで観に行った。以下、感想をつらつらと。

それは完全犯罪のはずだった。まさか少年たちに目撃されていたとは…。

義父母を崖から突き落とす男の姿を偶然にもカメラでとらえた少年たち。
事業家の婿養子である男は、ある目的のために犯行に及んだのだ。

一方、少年たちも複雑な家庭環境による貧困や、
家族関係の問題を抱えていた。
「僕達の問題さ、みんなお金さえあれば解決しない?」
朝陽(13)は男を脅迫して大金を得ようと画策する。

「何をしたとしても14歳までは捕まらないよ。少年法で決まってるから」
殺人犯と少年たちの二転三転する駆け引きの末に待ち受ける結末とは……。

公式サイトより

 まず、ネタバレにならない触りの部分として、岡田将生が素晴らしかった。彼のパブリックイメージであるところの清廉で優しい印象を表では振りまきつつ、その裏では他者を踏み台にし、殺すことも厭わないサイコパスを表現。そのサイコパス像にやや型通りを感じなくもないが、日本一のスパダリ俳優※個人の感想ですの汚れ役というのは、それだけで眼福である。好青年のお手本のような冒頭のイメージがどんどん崩れ去っていく様が、なんともたまらない。

 その演技を一身に受ける中学生三人も凄まじかった。羽村仁成(16)、星乃あんな(14)、前出燿志(16)の三人のアイドル映画としても、本作は機能する。若さゆえの増長と大人に責められる時の弱さ、追い詰められていく内に余裕を失っていく子どもとしての表現力に長けており、取り返しがつかない事態が展開されてゆく時の胃がキリキリする感覚は、間違いなくこのお三方の演技の賜物。とくに星乃あんなさんのジュブナイル映画適正が凄まじいことになっており、映画監督・金子修介を振り向かせるだけの存在感を纏っているため、観客としても彼女の抗いがたい魅力に目が離せなくなってゆく。この物語を成立させるためのかなり大きい部分を、彼女が担っているのだ。

 と、ずっと“表層”の話しかしていないのは、わりと本作がネタバレに気を遣うタイプの作品であり、語りたい所もその辺りに集中しているからである。岡田将生VS10代の若者の騙し合いを、スマホなどに逃げられない劇場で堪能するというのも乙であり、金子修介監督によるジュブナイル×人間ドラマの最新作、というお題目でピンと来たら、ぜひ観てほしいと思う。

※以下、本作のネタバレを含む。

 この物語の上澄みだけを掬ってみると、「殺人鬼を出し抜こうとした子どもが踏み外していく話」であり、それが第一幕。家庭や経済事情に難のある子どもたちが、とある殺人現場を動画に収めてしまい、犯人に接触して大金をせしめようとする。浩がナイフで学生を脅しお金をせしめたことや、夏月に対する恋心がエンジンとなって、誰よりも頭の切れる朝陽がどんどん自分たちを悪の道に引っ張っていく。そこに、冒頭から提示されていた女生徒の自死と、その母親(元父親の再婚相手)から受けた誹謗中傷が重なり、彼らは殺人の決行にまで至ってしまう。

 ところが、それすらも演技だった、ということで種明かし。実は朝陽こそがサイコパスであり、自殺と思われた女生徒の死も彼の仕業であり、偶然にも東の殺人を目撃したことで彼を揺さぶりつつ、さらに邪魔な人間の排除を行いながらその罪を東らに擦り付けようとしていた……というもの。思えば、性的暴行をしようとした父親を刺した夏月らに対し「少年法があるから捕まらない」というのは、慰めの言葉としては異様すぎた。彼はハナから、13歳という若さを利用して自分の意にそぐわない者を排除することを厭わない、凶悪な人間だったのだ。

 自分が成り上がるために義父母や妻でさえも殺してみせた東昇と、邪魔なものを排除するために頭脳を巡らせた安室朝陽。映画を観ている最中は気づかなかったが、こうして文字で読むと「東から昇る朝陽」と呼応する形になっている。作中、浩が昇に対し「出会い方さえ違えば友達になれたかも」という趣旨の事を言うが、それは浩ではなく朝陽だったのだ。障害となるものを殺害という許されざる方法で排除してきた両者は、この世界ではお互いが良き理解者足り得たのである。

 実に忘れがたいシーンがあった。昇の新しい住まいを江口洋介演じる刑事が訪ねた際、朝陽が学年相当よりもさらに先の数学の数式を解くシーン。朝陽が自身の類まれなる才能を露わにしつつ、その光景を見て、喜びを見出しているような昇。昇もまた、踏み外してしまったのだ。自分の分身と成りうるかもしれない、いや、自分よりもさらに高みへと至る、金メダルを掴み取れる男の存在に、つい心を乱されてしまった。

 完璧かに思わえた昇の犯罪は、脆くも崩れ去ってゆく。愛する家族を相次いで失った悲劇の男は、一転して大量殺人鬼に。そして、銀メダルの自分は、金メダルの朝陽に敗れて命を落とす。昇は犯罪者だが、過去の栄光のトロフィーをみっともないから下げろと言う妻・静は、決して善人といえるだろうか。昇の心を踏みにじったのは、舞台である沖縄を取り囲むようにして成長していった東家の存在そのものだったのかもしれない、という「余白」を感じさせるところが、実は本作の狙いだったのではないだろうか。

 暴力的な方法でしか地位を守りきれなかった東昇という大人と、そこからより悪の道へ至る知恵を身につけた朝陽。子どもは汚い大人の姿を見て、絶望し、学ぶ。彼が産まれながらのサイコパスだったとして、凶行に至った原因は、きっと彼の過去にたくさん散らばっている。息子のためを想いパートを掛け持ちしているという黒木華演じる母が、良き母を脱ぎ去って刑事に全てを託すあのラストシーンの不憫さに、胸を締め付けられるのだ。一体何を間違えてしまったのだろう、どうすればよかったのだろうと、映画の外で母は後悔と共に生きるのだろう。こんな地獄が、あっていいのか。

 円満だった家族も、身を寄せ合った三人の子どもたちも、狭い世界で最高の理解者に成りえたかもしれない大人と子どもも、全てぶち壊れてしまった。一度壊れたものは、亡くなった命は、もう戻らない。ゴールド・ボーイ=黄金時代を生きていたはずの人々は、その虚しい崩壊をもってしてその輝きを失ってしまう。

 あんなに瑞々しく美しいデートの瞬間さえ、もう二度と訪れることはない。過ぎ去ったものを想い、切なさに胸が潰れそうになる。そう思うと、やはり本作はジュブナイル映画なのだ。輝かしい瞬間をフィルムに切り取れば永遠に遺るが、現実はそうはいかない。生き残った本作の登場人物たちは、この世界で何を想うのだろう。その「余白」を推し量るのは、どうにも切ない。

この記事が参加している募集

映画感想文

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。