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何が彼女を突き動かしたのか。『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』


 「試験」と聞くと、それだけでお腹が痛くなってしまうような、それはもう嫌な思い出をいっぱい重ねて大人になったものだけれど、もっと胃が痛いのはこの映画におけるカンニング描写。バレるかバレないかというスパイ映画的要素に加え、それぞれの人生がかかっているという重みに、冷や汗が止まらないような鑑賞体験。これは間違いなく傑作。

天才少女リンは、進学校に特待生として転入する。リンはテストの最中、とある方法で親友グレースを救う。その噂を聞きつけたグレースの彼氏パットは、リンの回答を横流しするカンニング・ビジネスを持ちかける。それに乗ったリンは、思わぬ方法で学生たちの点数を上げていくのだが、その事実を悟ったもう一人の特待生バンクによって破綻する。
一度はカンニングから足を洗ったリンだが、アメリカの大学に留学するための統一試験「STIC」のカンニングを依頼されてしまう。彼女は多くの学生の期待を背負い、シドニーへ向かうのだった…。


 「カンニング」と言えばもちろん許されない行為だが、本作に限っては大人たちを欺くしたたかな天才の手腕に、ある種の爽快感さえ感じてしまう。「試験」という誰もが経験したシチュエーションを舞台にした画期的な犯罪映画にして、試験問題から答えを導き、それを横流しするリンはさながら情報スパイ。緊迫感溢れる試験のシーンは、どれも目が離せないサスペンスフルな内容に仕上がっている。

 それらを構成しているのは、マークシートを走る鉛筆と、時計の針の音。そして言葉には発さず、口パクや細かな手振りで情報を伝達する静かなコミュニケーション。試験監督の視線を掻い潜り、密かに行われていく巧妙な犯罪。それを追いかけるカットも計算し尽くされており、決して退屈などさせない。特に、音楽・編集・演技が見事に合わさった「ピアノ」のシーンは圧巻で、映画的な飛躍の爽快感が、カンニングという行為の後ろめたさを上回ってしまうのだ。

 回を増すごとにカンニングの手口も壮大になっていく。当初はリンという司令塔一人で成り立っていたものが、終盤の「STIC」では共犯者を募り、国を超え、シドニーとタイの両面で連携した作戦が執り行われる。問題を解き回答を送信するリンともう一人の「天才」と、それを受けて情報を伝達させてゆくタイの「凡才」たち。ひっきりなしに起こるトラブルや容赦の無い追及が襲い掛かり、心が折れそうになる局面を、いかにして切り抜けるか。閉じられた教室で展開していたはずの犯罪ドラマは、ついにその空間を抜け開けた外の世界に展開し、登場人物は全力疾走する。

 大人への隠し事、秘密の共有など、瑞々しいキャストが織りなす青春映画としての魅力も素晴らしい。いかに天才であれど10代の少年少女。大人からの追求に怯える等身大の姿が描かれるからこそ、後に大人たちを欺くカンニングシーンの達成感が活きてくる。悪事を通して人間的成長を遂げる主人公リンの容姿の変遷も見逃せない。


 カンニングを題材にしたエンターテイメントである一方、本作はタイの社会問題を扱った、ただの娯楽に収まらない一作になっている。若き天才がなぜカンニング・ビジネスに手を染めるのか。そこには、逃れられぬ経済格差や賄賂の横行など、良い成績を修めるだけでは埋まらない差が存在するからだ。落第しなければ新車が貰えるという者がいる一方で、奨学金がなければ学校にさえ通えない者もいる。努力では埋まらぬ貧富の差を抱えた者たちが、同じ学び舎に揃うということ。本作が描くタイの現実は、我が国も他人事ではいられない。

 優れたエンターテイメントにして風刺映画。格差社会や教育現場の腐敗を揶揄しながら、登場人物たちを徹底的に追い詰める。作り手のドS精神溢れるトラブルの連続に、こちらも焦りを禁じ得ない。なお、エンドロールの最後に痛烈な皮肉が用意されているため、劇場が明るくなるまで席をお立ちにならないようお薦めしたい。

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