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“キング”コングになるために。『ゴジラxコング 新たなる帝国』

 生まれてこの方特撮ファンをやらせてもらっているが、間違いなく今、「ゴジラ」というIPがもっとも元気である。

 国産最新作『-1.0』がアカデミー視覚効果賞を受賞し今なおロングラン公開が続き、TVでは『ちびゴジラの逆襲』の新しいシーズンが放送中である。数年前とは比較にならないほど、ゴジラの名を目にする機会が増えた。新作が長い間途絶えたことのある歴史を踏まえれば、考えられないほどに恵まれている。

 その流れとまさしく「並走」することとなった、ハリウッド版ゴジラが属するモンスターバースも、コロナ禍という厳しい状況下でもヒットを飛ばし、無事『VSコング』の続編たる本作が製作された。配信ドラマ『モナーク: レガシー・オブ・モンスターズ』もシーズン2の製作が決まり、ゴジラはもう安泰、と言っていいのかもしれない。

 という前置きをしておいて何だが、今作『新たなる帝国』は、コングが主役の物語であった。家族を失い、故郷も失った巨神がついに行き着いた新しい故郷homeには、憎たらしいヴィランが復讐に備え玉座にふんぞり返っていた。この闘いで問われるのは、正しく「王」の名を戴くための素質と、強さなのかもしれない。

 ……果たして、本作の作り手がそこまで考えているかは定かではないが、感想を語っていきたい。

モンスターバースの方向性

 本作の冒頭、ホロウアースでのコングの日常を描くシークエンスを観て、強烈に思い出した映画シリーズがある。奇しくも最新作の公開を間近に控えた、リブート版『猿の惑星』三部作だ。

 アンディ・サーキスをはじめとする"エイプ”役者陣の卓越した演技力とモーションキャプチャーの精度、CGによる豊かな表情の表現力をもってして、一作目の時点で「人間ではなく猿に感情移入させる」という高いハードルを超えるのみならず、二作目三作目と進むにつれて「人語を介さない猿側のみでドラマパートを進行させる」という試みが強化されていった同シリーズ。この映画を観る時、私は人間の愚かさ矮小さを学び、猿たちの救世主となるシーザーの誇り高き魂に惚れ込んで、同種殺しにより原罪を背負い、良くも悪くも人間らしく散っていく様に、涙した。

 本作『新たなる帝国』も、いよいよ“そういうターン”に来てしまっている。ケン・ワタナベ風に言うのなら「人間ドラマが怪獣ドラマのペットなのです」ということになるだろう。

 どういうことかと言えば、本作は明確に人間ドラマと怪獣ドラマの比率が裏返っている。人間ドラマの合間に怪獣たちが闘うのではなく、怪獣たちがドラマを語る合間に人間が喋っている、のバランスなのだ。

 今作の物語、というか怪獣たちの闘いの動機は、公開前のレビューでも指摘されていた通り、ヤンキー映画である。

 前作の香港での激闘を終え、コングはホロウワールドに、ゴジラは地上を住処とし、両者の激突は一旦は収まった。そんな中、コングと対話することのできる少女ジアとモナークは同時期に、発信源不明の強大なシグナルを検知し、ゴジラはそれに呼応して原子力施設を襲撃、パワーを溜め込もうとしている。そしてコングは、ホロウワールドに自分のような巨大なサル型生物の集落を発見し、その民を支配するスカーキングの存在を知る。スカーキングはかつてゴジラとも因縁のあるタイタンで、復讐のための進軍を進めており、ホロウワールドにて生存していたイーウィス族はSOSを鳴らしていたのだ。

 スカーキングはかつてゴジラに敗れ、復讐のためにホロウワールドを恐怖と暴力で支配するならず者。彼は強力な氷結怪獣シーモを操って、進軍を企てている。迎え撃つコングは圧政に苦しむ力なき者たちの盾となるため、そしてジアのいる地球表面世界を守るために奮起し、ミニコングことスコは困り顔でコングに付き従う臆病な舎弟タイプ。しかしスカーキングとシーモの凶悪なタッグに苦戦するコングは、旧敵他校であるゴジラに助けを乞うが、当のゴジラは「オメェまたウチんテリトリーに来たんか」と聞く耳持たない。そこに仲裁にやって来るのが、モスラ風紀委員長。いたってシンプルだ。

 ここまで書き上げたあらすじの情報の7割は、なんと怪獣たち本人の立ちふるまいや表情から語られている。コングは今回は人情派で兄貴肌、ちょうどマ・ドンソクが演じるようなキャラクターであり、ゴジラはさながら前作主人公が如く強烈なパワーと扱いづらさで怪獣バトルに華を添える。スカーキングはモンスターバース史上最も人間臭い演技のディレクションが冴え渡り、一発でチンピラだと理解るコングとの初対面シーンが最高だ。シーモは囚われの姫役で、モスラはゴジラパイセンのツレ。あぁ、なんとわかりやすい勢力図だ。

 では脇に追いやられた人間たちはどうなったかと言えば、彼ら彼女らは必死に説明役をこなすか、単なる賑やかしとなるか、時にコングをサポートする。ジアを除けば、ほとんどが役割を果たすだけの存在と化している。その点をもって「物語性が希薄だ」と批判することも出来るかもしれないが、目の前で繰り広げられている怪獣大乱闘を見れば、そのご指摘は重箱の隅にすらならないことは一目瞭然だ。

 人間ドラマが薄いのではなく、薄めたのである。怪獣たちの出番の邪魔にならないように、しかし最低限の出番でキャラクターを立たせ、解説役に足るまでの知識がある存在ですよ、として提示する。前作『VSコング』はジアとアイリーンのチーム、バーニーのチームと二組がそれぞれ別々の怪獣を追うという構造をしており、それらを交互に挟む必要があったものの、今作は人間の主要人物を1チームにまとめたことで人間ドラマに割く時間を低減し、衝突を発生させないことで鑑賞のストレスを生じさせない、という大発明に成功したのである。

 これにより怪獣バトルの興奮に水を差すことなく、目の前のカタストロフィへの興奮が上映中絶えず持続する。上映時間二時間以内を意識したというアダム・ウィンガード監督の慧眼は、真っ先に称賛されるべきだ。

 「ウチはあくまで怪獣がメインなんで

 腕まくりにハチマキをしたアダム・ウィンガード監督の姿が浮かんでくるようなこの思い切った構造は、(少なくとも映画の)モンスターバースの屋号はこうやりますよ、という宣言のようだ。戦争と原水爆のメタファーとしてのゴジラを日本がやるのなら、海外は最新技術を用いて豪華なチャンピオンまつり路線をやり抜いてみせる。その思想に目くじらを立てたくなる気持ちもないわけではないが、「ゴジラ」とはこれすらも受け入れてしまえる器と歴史があるのだ。

 これはもう個人的な趣味嗜好の話になるが、国産ゴジラが今後も続くというのであれば、ハリウッドはこの路線で突っ走っていってほしい。日米のゴジラが並走し、あまつさえ同じ映画館で同時期に公開されるという前代未聞の奇跡を前にして、ゴジラはこうあれ!と言うのは勿体ない気がする。『シン』と『-1.0』が日本にしか撮れないゴジラであることは誰もが理解しているはずで、その逆もしかり。モンスターバースが二郎系高カロリー全部乗せで行くっていうなら、どうにか喰らいついてスープまで飲み干したい。

 でも腕振って走るのはいいケド、気をつけの姿勢で海に飛び込むのはどうかと思ったよ、アダムくん!!!!!!!

王のUTSUWA

 前述の流れとやや矛盾するかもしれないが、本作のドラマは薄くはあっても、中身がないことは意味しない。むしろ、短い時間で破綻なくジアとコングの物語を描ききったことを思えば、『キング・オブ・モンスターズ』以降の作品の中では最も美しく整理されている、という印象を受けた。

 というのも、今回ジアとコングが直面する「自分の居場所」という問題について、両者は非常に近しい過去を背負っている。コングは映画の前日譚でスカル・クローラーの大物に両親を殺され、後の嵐で髑髏島という故郷を失っており、ホロウワールドを日夜探検しているのも同族を探しての行為である。

 一方のジアも、同じく髑髏島が嵐に襲われ、彼女はイーウィス族唯一の生き残り。今は学生として一般生徒と共に生活しているが、文化の違いや聴覚障害と手話話者ということもあり、周囲の子どもたちとは打ち解けられていない様子。彼女もまた、自分の居場所を見つけられず、親代わりのアイリーンとコングとしかコミュニケーションを図ることが出来ない。

 本作は、そんな二人(一人と一体)のルーツに切り込んだ物語となっていく。ジアはホロウワールドの中で同じ民族が独自の文化圏を形成しながら生存していることを知り、外界から来た仲間として受け入れられ、モスラ覚醒のために大仕事をこなすこととなる。彼女は自分にしかない役割を果たすことで自信を取り戻し、その上でアイリーンと共に暮らし続ける選択肢を選ぶ。ジアはこの地球で一人ぼっちではないことと、アイリーンの存在の大きさは、彼女が見たテレパシーの中で示された通りだ。

 そしてコングは、自分と同種と思わしき生物が生き残っていること、しかしそれらを虐げ聖帝十字陵式労働を課している巨悪の存在を知る。コングは仲間を圧政から救うため、独裁者スカーキングと闘うわけだが、この構図は実は『キング・オブ・モンスターズ』のゴジラとギドラの相関図に似ている。宇宙から舞い降りた偽りの王と闘う、怪獣王。もしかするとこれは、コングが彼らの王キングコングとして認められるための、通過儀礼の闘いを描いた映画なのではないだろうか。

 中盤、コングが奴隷労働に耐えきれず倒れた同種に手を差し伸べるシーンがあったが、あれこそ王の仕草と言える。弱きを助け強きを挫く。ゴジラの手を借りながらもついに悪の王を打ち倒したコングに待っていたのは、支配からの解放に喜ぶ民の、彼を称える声であった。住処を追われ、人間の都合でゴジラと闘わされ、家族を求めて彷徨っていたコングの旅は、こうして終わりを迎えたのである。王を称えよ、その名を呼べ、“KING KONG” と

百人の首を斬る者を英雄と呼ぶ。
たった1人の命を救う者を神と呼ぶ。

『バーフバリ 伝説誕生』より

 かくして安住の地を見つけたコングと、ローマで猫みたいに眠っているゴジラ、という想像を絶するエンディングでエンドロールに突入する本作。残念ながら今後の展開を予告するおまけシーンは無かったものの、目下世界中で大ヒットを飛ばしており、モンスターバースはこれで終わりということはないだろう。ゴジラとコングが闘う映画が生きている内に二本も観られるなんてと思う反面、人間ワガママなものでもっと!の気持ちもある。

 何にせよ、怪獣映画が国内外問わず活発になっている奇跡のような時間がもっともっと続けばいいと思わずにはいられないし、こういう呑気なお祭り大作だって2~3年周期で観たい。この後を任される『モナーク』シーズン2が気の毒ではあれど、応援したくなるのは確かだ。そして名実共に最強コンビとなったゴジラ&コングに対抗できるとすればスペースゴジラとかデストロイアが徒党を組むしかないと本気で思っているので、その辺りにも期待しながら、次は吹替版を観に行くとしよう。

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