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堅実、生真面目、デッカー。『ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ…』

 2023年2月23日0時、同じことを考えている同志が多いのかやけに動作が重たく、ツブイマのサーバーへの応援上映を(深夜なので心の中で)一人執り行うようにして『ウルトラマンデッカー最終章 旅立ちの彼方へ… 』を再生した。最寄りの劇場でやっていないから、という言い訳をしつつ、自宅でのリラックスした状態で新作映画が楽しめるのは嬉しい。とはいえ、特撮や怪獣のダイナミクスをPCモニターで消化するのもいかがなものか、というジャンルのオタクならではの贅沢な悩みは尽きない。

 配信&劇場公開という試みは前年の『ウルトラマントリガー エピソードZ』から始まったものだけれど、映画のお題目はこれまでのニュージェネ作品のそれと変わらない。TVシリーズ2クールのその後を描く後日談にして、完結編。とくに本作は“最終章”と自ら銘打っており、その側面はより強まったものと言える。

 とはいえ、『ウルトラマンデッカー』の物語はTVシリーズの時点で描かれ切っている、という印象が強かった。一人の青年がウルトラマンとなり、怪獣や宇宙人と闘う。ウルトラシリーズはそのフォーマットを基礎としつつ作品ごとのゴールが設定されるものだが、『デッカー』の場合は「スフィアのバリアを打開する」、ひいては「カナタの両親やイチカの仲間が無事地球に帰還する」ことが挙げられる。そしてその目標は、最終話にて遂げられている。地球と火星の行き来が再開し、アガムスを除けばメインキャラクターやその親族には死者を出さず、晴れた青空のようなハッピーエンド。

 その突き抜けた明るさこそ『デッカー』の持ち味であり、残された課題や謎も作品にとって欠点として挙げられるほど大きなものでもない。スフィアの根絶こそ成されてはいないが、未来でもデッカーやダイナが闘い続けていることが本編中でも示されているため、それが最終章のテーマになることもない。「結局トリガーとティガってどういう関係なの!?」という作品の外に大きなしこりを残したまま『エピソードZ』へと突入した昨年が「地続きの続編」なら、今年は予告編を観た段階では「番外編」という印象で、何を描こうとしているのか?が中々事前に嗅ぎ取りづらいものだった、というのが鑑賞前の所感。

前提を語るとどうしても『トリガー』との比較が始まってしまうのが悪い癖なのだが、『エピソードZ』は設定を開示したり足りなかった点を補強するのではなく、『ティガ』を引用しつつも新しいキャラクター像やウルトラマン↔人間の関係性を示すことで「NEW GENERATION TIGA」を成し遂げた良作なので、未見の方はぜひ本作と併せてご覧いただきたい。

筆者注

 では実際に観た『旅立ちの彼方へ…』がどうだったかと言えば、TVシリーズ同様に「堅実だな」というのが、正直な感想である。最初にTVシリーズを振り返る映像があって、最終回のその後のメインキャラクターの進路について説明があって、新たな敵が現れる。そういったガイドラインがあるのか!?と思うくらい順当にお約束を消化していく本作は、番組のキャッチコピーとは裏腹の「飛び出さない」映画に仕上がっている。

以下、『旅立ちの彼方へ…』の
ネタバレが含まれます。

 前述の通り、スフィアを主題にすることが難しいという立場を抱えた本作は、主に以下の主題を置くことで映画というパッケージを仕上げることに挑戦している。

  1. 新ウルトラマン・デイナスの来訪と成長

  2. Dフラッシャーを失ったカナタはどうやって変身するのか

  3. カナタはどんな進路を歩むのか

 まず1.は新キャラクター・ディナスの掘り下げ。ラヴィー星の住人たる彼女は本作の宿敵であるプロフェッサー・ギベルスを知る、解説役としての役割を果たす。と同時に、デッカーに変身できない映画前半のスペクタクルを担当し、戦闘に不慣れな性格(あるいは女性であるという生まれ持ったハンデ)をカードの力で補う、というスタイルがデッカーとの差別化として働く。併せて、キングジョーVSテラフェイザーという新旧ロボ対決も目配せが効いている。

 彼女もまた故郷を奪われた身ということでアガムス的な出自を持ってはいるが、復讐者ではなく「ウルトラマン」としての使命に準ずるヒーローとして描かれ、その凛々しさは小さな女の子たちの憧れの対象になるだろう。そして、彼女がDフラッシャーを持つ理由についても驚きの設定が開示される。

 2.は1.との合わせ技にして、ディナスが持つウルトラマンの力はダイナから受け継がれたものである、ということが中盤に明かされる。ダイナの登場シーンは本作の数少ないサプライズ要素の一つで(もう一つはグレースとナイゲルの再登場)、短い出番ながらソルジェント光線も見せてくれるのが嬉しい。こうしてダイナから受け継がれた光がディナスへ、そしてクライマックスではカナタに還ることで、ついにウルトラマンデッカーがスクリーンに登場する。

 屋号を背負うウルトラマンが映画のクライマックスにしか登場せず、タイプチェンジもせずに初期フォームのまま立ち向かう。ある意味ウルトラマン映画らしからぬ本作の挑戦的な展開によって、ダイナから受け継いだ光で変身するデッカーという構図が際立ち、ダイナミックではなくフラッシュで闘うことにも文脈が乗せられていく。これまではシチュエーションや精神面で「NEW GENERATION DYNA」を語る『デッカー』が、最終章にしてついにダイレクトな映像のインパクトで令和のダイナをやってみせる。その試みはTVシリーズから映画への発展として実に感動的な飛躍だった。こんな「最終章」の語り口があったのか!という。

 そして3.については、そもそも「アスミ・カナタってこういうキャラクターだったよね」という原点回帰なのでは、という落としどころ。彼は優しくて正義感の強い好青年ではあったものの、TVシリーズ開始当初の彼は気のいい煎餅屋のお兄ちゃんといった造形で、リュウモンやイチカと比べて人生に目標や夢があるタイプの主人公ではなかった。だからこそ、デッカーになってからは怪獣退治という「目の前のこと」をコツコツやっていく、いや「やるしかねぇ」という立場に置かれ、その使命を真っすぐにこなしていく。

 そんなカナタが、実家の煎餅屋の火星進出か、あるいはGUTS-SELECTの教官かと悩む冒頭において、彼にも人生の選択肢が前に開いていることは感慨深いし、数多の可能性から選びきれないという「普遍性」こそがアスミ・カナタという人間の魅力なのだろう。無意識に周囲を巻き込んでどんどん前に歩いていく主人公性を持ちながら、当人は「今」に根差した価値観の持ち主であるというカナタの在り方は、本作でも健在だ。

 そんな彼がラストでは宇宙へと旅立ち、しかしそこには仲間がいる=一人じゃないという着地は、『ダイナ』最終回におけるアスカの顛末が視聴者から前向きに受け取られなかったという経緯に対する、ある種のリベンジなのかもしれない。最終章においても明るく真っ直ぐに。それが『デッカー』の初志貫徹にして、「ネオフロンティア時代」の本来の在り方を取り戻すという意味でも正しく、爽やかな幕引きだ。

 というわけで、非常に収まりのよく、優等生的な映画だと思う。その反面、本作は劇場版としての“華”に欠けるな、という感想も同時に抱いてしまうのだ。

 前述の通り、ウルトラマンデッカーの登場シーンは極めて短く、タイプチェンジによる変幻自在な闘いも無ければ、劇場版限定フォームといったお楽しみもない。前作主人公であるトリガー=ケンゴとの共闘はTVシリーズで十分やり切ったとはいえ、『エピソードZ』におけるイーヴィルトリガーのような「NEW GENERATION」要素もなく、クロスオーバーを含まないのは単体の完成度を高める上の英断とは理解しつつも、どこか寂しさを感じてしまう。

 無論これらは、先程指摘した通り「ダイナから受け継いだ光=フラッシュタイプで闘うデッカー」というエモーショナルのために削ぎ取られたもの、というのはわかる。わかるのだが、物足りなさも感じずにはいられないのだ。子どもたちには、TVでは観られないゴージャスなものを、大スクリーンで浴びてほしい。そんなお節介な感情に対して、本作はいささか収まりが良すぎるのだ。『デッカー』の堅実さはポジティブにもネガティブにも働くのだな、という発見が、有終の美に少し影を落とす。

 とはいえ、改めて振り返れば、本作をもってようやく「NEW GENERATION 〇〇」は完成したのかな、という感慨深さに浸っている。ニュージェネらしさとTDGの世界観との融合というお題目に対し、まだ手探りな感じも否めなかった『トリガー』を経て、『エピソードZ』『デッカー』は作品の精神性やテーマ性の再演という形を選んだ。その試みは見事成功し、過去作へのリスペクトと単体としての高い完成度の両立を成し遂げた。

 親と子、二世代が楽しめるウルトラマンとしての「NEW GENERATION 〇〇」は、「コンテンツとしてのウルトラマン」の寿命を引き伸ばす役割を果たすだろうし、個人的には大人になって『ティガ』『ダイナ』に再会する機会をくれた『トリガー』『デッカー』には感謝の念が絶えない。ウルトラマンという“光”が受け継がれていく、その流れを作り上げたことがTDGに対する最大のリスペクトになるのではと、今さらながら思ったりもするのだ。明るい展望を抱くことも難しくなった世の中で、ヒーローはそれでも希望を鼓舞する役割を果たすべく、眩い光を放ち続ける。

 ……とは言ったものの、配信版の最後に付け加えられた次回作の特報、めちゃくちゃ「不穏」でしたね。「NEW GENERATION GAIA」よりは、『シン』寄りの気配。今から楽しみです。

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