第1307回 酒田の米を守ってきた史跡

1、山を越えて

これまで全然出張がなかったのに今月はもう3度目。

今月だけで昨年一年分の移動距離はゆうに超えているのではないか、と思いながら、その分収穫の多いということでもあります。

本日は視察してきた山形県酒田市の山居倉庫をご紹介したいと思います。

2、米の発信基地

山形県酒田市は江戸時代「庄内藩」と呼ばれたエリアに含まれ、

穀倉地帯として知られています。

また最上川による水運と、日本海交易の北前船で栄え、

日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間(北前船寄港地・船主集落)」

の一角を占めています。

米の積出港としての賑わった近代の面影を残す良好な文化財として令和3年3月に国指定を受けた山居倉庫。

始まりは庄内藩主であった酒井家が明治26(1893)に建設した米穀取引所の倉庫であったそうです。

厳しい等級審査で甲乙の米種が定められ、その預け入れ伝票は「米券」と呼ばれる証券にまとめられ、売買されるのはもちろん、銀行の担保としても通用するほどの信用があったそうです。

担当者さんの話では建設時の図面や記録が残っておらず、各地からの視察のために作られたパンフレットと現存する倉庫の建築様式の違いなどから年代を明らかにしたとのこと。

発掘調査も行われたそうです。

担当者さんたちの苦労と地域住民の想いがあって指定につながったのでしょうね。

文部科学大臣揮毫の看板
「史跡」の現状変更で大臣の揮毫看板が上がってきたとき、担当者さんはどう思ったでしょうね

米倉ですから、温度・湿度管理には気を遣います。

土蔵作りなのに西面が黒っぽい板材が貼られています。

実はこれは土壁との間に空間を設けて断熱効果を狙ったものとのこと。

さらに欅並木で日除けも図っているとのこと。

写真映えするスポットは実用的な理由から生まれたものだったのですね。

用の美、民芸品と通じるものがありますね。

屋根も二重になって風通しがよくなるようにしているそうです。

そしてなによりすごいのは現役で米倉として使われていること。

今日も横付けされたトラックにベルトコンベアで米袋が積まれているところでした。

しかし、そうはいっても規格は明治時代のものなので、人の手で運ぶ前提の動線もあり、非効率となっているところもあるようです。

いずれ別な場所に移され、跡地は市が買い上げて整備・活用するとのことでした。

保存活用計画は令和3年10月に第一回の策定委員会が開催され、令和4年度中に策定が完了する予定、と公表されています。

3、文化に前向き

酒田市は駅前の商業施設が廃業してから20年以上更地だった土地を

図書館、観光案内所、ホテルにマンションまで併設された画期的な交流拠点施設を整備中。

8月の庭園完成を待たずに他の部分は供用開始されていました。

図書館は静寂に、という固定観念にとらわれず、コンサートなど各種イベントを行うスペースもあり、(静音スペースも確保されている)

雑誌単位のスポンサー契約や

ホテル客室に図書館の本を持ち出せるようにすることなど

うまい発想が散りばめられた素敵な空間でした。

本日取り上げた山居倉庫の整備活用と併せて文化的な施策に積極的な自治体だということがヒシヒシ伝わってくる視察でした。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

明日も視察報告続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?