第1411回 モノと関わりの歴史

1、研修報告

同業者の人たちの集まりがあって、昨日から埼玉県の川越市にやってきています。

2日目の今日はエクスカーションということで、4つのコースに分かれて史跡等を巡ります。

私のコースは秩父地域、テーマは「古秩父湾」、文化財的には天然記念物というジャンルのものが中心になります。

なんと約1700万年前から1500万年前のあいだ、この秩父というところは海だったというのです。

それを示す地層が露出している「露頭」と海で暮らす大型哺乳類の化石などが国の指定文化財となっているのです。

他にも岩畳という結晶片岩が川の路床に敷き詰められた畳のようになっているところや、

タホニーという風化した穴が一面に見られる岩窟に掛け造で建てられている寺院など、

地質にまつわる驚きのスポットを巡ることができました。

2、関わりの歴史

ただ、私の本業は歴史なので、今回はこの天然記念物群と関わりのあった歴史的人物について学んだことを少しシェアしていこうと思います。

まずはNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、次のお札の顔としても知られている渋沢栄一。

彼は埼玉県の出身で、県内各地にゆかりの地があります。

この秩父においても彼の足跡は大きく、彼なくしてこの地域の発展はなかった、と言えるほど大きいものだったようです。

というのも、秩父盆地内部まで鉄道を延伸するかどうかの瀬戸際にあった際に、資金援助に力をいれていたのです。

秩父の武甲山というところで取れる石灰岩がセメント工業に資する、ということを調査させ、利益が見込めるという見通しがあったとのこと。

郷土のため、とはいえシビアな判断が働いていたようです。

続いてはこの秩父が「日本地質学発祥の地」と呼ばれていること

ナウマンゾウにその名を残す、ドイツからやってきた地質学者ナウマンは

明治10年に東京帝国大学の初代地質学教授となると、その翌年に秩父で調査を行います。

明治34年には同じく帝大教授の神保小虎が論文の中で

我が国の地質学者が一生に一度は行ってみるべき

と評したことから、学生たちも大挙して巡見にやってくるようになります。

これを後押しするように鉄道も延伸され、運営会社の上武鉄道(秩父鉄道の前身)が「秩父鉱物植物標本陳列所」を設立するのです。

鉄道会社が学術調査に関わる施設を運営する、って時代ですね。

やがては一般の観光客を受け入れる「自然科学博物館」となり、昭和56年に県立の博物館となったのです。

鉄道会社が先行投資をして、学術的な調査が裏付けとなって、天然記念物が観光資源となる、なんと理想的な循環でしょう。

そしてそんな雰囲気の中、宮沢賢治も盛岡高専農林学校の学生だったころに訪れていたということも明らかになりました。


賢治も見たであろう露頭と歌碑

特徴的な地質という素材があって、調査活用していこうとする人たちがいて、それを訪れる文化人がいる。

そんな理想的な循環が残る地は素敵ですね。

3、享受する力

いかがだったでしょうか。

見てきたモノそのものはあまり語りませんでしたが

関わってきた人の歴史、というだけでもそのモノが魅力あるものだとわかります。

行く前は「中世城館コースがよかったな」と思ってましたが、想像以上に楽しめました。

お世話になった当地の方々に感謝いたしたいと思います。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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