第85回ダイバーシティは心地よいか

1、我が子に東京の何を見せたいか

東京滞在2日目。今日もスカイツリーに浅草、秋葉原と定番観光地を巡ったためか、本当に外国人の方が多くて、それが自然でなんだかステキでした。

東北の片田舎に住んでいると、価値観の似たような人としか接しないようになりがちで、

自分はもとより、子どもたちには常に視野を広く持っていて欲しいと思っています。

いくら口で言ったり、テレビで見たとしても、連れてきてみるとでは印象は大違いでしょう。

私自身WebやSNSで情報には触れていましたが実際に肌で感じて見れたことは今後に大きく影響するかと思います。

昨日のnoteでも触れましたが、課題は多くありつつも、多様性社会の実現という方向性は望ましいと思っていますので、今の東京の姿はとても眩しく見えます。

2、日本人はいつも異文化に向き合ってきたか

これまでの歴史上でも日本は何度か多様性を受け入れてきました。

例えば古代以来、技術は外からある程度完成された状態で移入されてきました。渡来人、お雇い外国人などと多様な名前をつけられつつも、技術者が階梯を何段も飛ばして進めてくれたおかげて世界標準に近いところまで短期間で習得することができました。

古墳時代研究においては周辺地域とは異質の墓制(どんな古墳をつくるのか)を持つ集団が少なくありませんが、渡来系の集落の存在が指摘されています。

古墳時代の中華街?ですかね。これについては別稿でまとめたいと思います。

遣唐使が廃止されて国風文化が栄えた時期や江戸時代の鎖国(言葉自体が死語みたいですが)の時期にも交流は絶えておらず

現代の人々が思うほど昔の日本人も外国人に抵抗はなかったのではないでしょうか。

幕末に横浜が開港されると、日本人の商人たちは盛んに交易をしようとしていますし、

中世の博多も国際都市であったと言えます。

今の東京の姿は
規模は違えど何度も経験していることと言えるでしょう。

3、新しい世代に広い視野を

古い時代の感覚で見てしまう私は

外国の方が増えたなー

とか

日本のどこに魅力を感じてくれているのか

などとしか考えられませんが

次の世代は多様化社会が当たり前になってくれればと思います。

小学校でも多様な国の出身者が互いを尊重し合いながら机を並べて学ぶことができる、

そんな社会になればもっと住みよい社会になるのではないでしょうか。

出身国や文化が違っても同級生。自分の常識が通じない他者をどう呑み込むか。それを試行錯誤していけば、違うベクトルの多様性(LGBT)なども心理的なハードルが下がるのではないでしょうか。

同質的な中に、1点だけ異質があれば浮いてしまい、イジメのターゲットになったりするかもしれませんが、クラス中が異質であればそんなことはありません。

子どもに寝物語で歴史の話をすると、いつも

なぜ争いはなくならないのか。

という話に収斂します。

私個人の意見としては互いを理解し、尊重し合うようになれば争いは起こらないのではないか、そのためには相手の歴史を知り、己の歴史と対比して客観的にみることが必要だ、と伝えています。

もちろん上記の自分の意見を押し付けて相手を尊重したことにならないので、参考にしつつも自分で考えてくれと締めています。

このように多様性を認めある教育を、少しずつでも広げられるように努力していきたいと思います。

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