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象は鼻が長いの意味1

【作者の意図】

 さて、皆さんも、歌の『ぞうさん』、ご存じですよね。この歌の内容に対する作者の方のお考えについて、色々と紹介がなされているようです。よろしければ、リンク、ご覧ください。

 作者の方は、ご自身で表現なさりたいご内容に沿って、日本語の表現をお選びになったものと考えるのが普通かと存じます。ここでのご表現にも使われているように、「が」という言葉は、「普通でない状況」を表し(注1)、それと同時にその状況に対する評価や感情も含みます。

「象は鼻が長い」※お前は変だ
「お醤油が無い」※何で買っておかなかったんだ
「今朝、鶏が鳴かなかった…」※不吉だ
「夜景が綺麗なデートスポット」※ロマンティックな展開につながる

 普通でない状況という認識(注1)、及び、それに対する評価や感情を、いわば消去し、いわば中立な表現をするには(或いは中立を装うか中立であることを表明するには)、「が」を付けないか、(可能であれば)「の」に換えるかします。

「象は鼻長い」
「お醤油無い」
「今朝、鶏鳴かなかった…」
「夜景の綺麗なデートスポット」

【紙が無い】

 ところで、皆さん、替歌を作ったこと、ございませんでしょうか。小学校のころ、クラスメイトから以下のような歌、度々、聴かされました。

トイレに入った
紙が無い
どうしよう
ポケット、探したら
千円、あった
拭かなきゃ、出られない
千円、勿体無い
あーあ、どうしよう
えーい、手で拭こう

 節は、確か、国民的なアニメーションのものだったように記憶しております。「が」は一回しか使われておらず、「を」も使われておりません。「あってしかるべき紙が無い」という普通でない事態(注1)とそれに対する感情とを表すため、「が」が非常に効果的に使われています。

【「を」「が」共通項1】 

 実は、「が」「を」というのは、普通でない状況(注1)を表すという部分は、共通しています。

 コーヒーが飲めない
 コーヒーを飲めない
 財布が取られた
 財布を取られた
 財布が落ちる
 財布を落とす
 紙が無い
 紙を切らした

 なお、勿論、可能の場合、書く際は、「を」でなく「が」を使うべきなのでしょうが、それはまた別の問題です。普通でない状況(注1)を表すという部分については、「が」も「を」も同じで、動詞の種類によって組み合わせを換える必要があるというだけです。そもそも、「が」「を」を付けるのは、デフォルトではなく、(重要な)オプションなのであって、「が」「を」が付いているから「何とか格」が表される、というのは逆立ちした議論だと存じます。

【「を」「が」共通項2】

 「を」「が」において、もう1つ共通しているのは、その情報を、指示(注3)、指定、特定、択一(注2)する、ということで、そして、それは、選択肢が無いことを表しています。「何か召し上がりますか」と言うのが普通です。何かという言葉が選択の幅があることを表しているので、選択肢が無いことを表す「を」をつけて、「何かを召し上がりますか」という言い方は普通はしません。「ケーキがいいです」「ケーキを頂きます」と言ったら、他ならないそれがいいわけで、他ならないそれを食べようというわけです。

【同じ助詞の連続が避けたい言語】

 象、鼻、長い

 このように言うのは、普通のことですし、漢文訓読でも「象、鼻長し」「象は、鼻長し」と、もしくは、「象、鼻、長きなり」「象は、鼻、長きなり」と言います。日本語は、「は」「が」のような助詞が付いているから文法的意味が分かる言語、ラテン語のような、語の後半部分の形によって文法的な意味が示される言語に似た言語ではないものと、語の後に続く助詞によって文法的意味を表す要素の強い言語では、必ずしもないものと存じます。
 「象、鼻、長い」とか「象、鼻長し」とか、「お姉ちゃん、寿司、食い、行こ!」とかで、文法的な意味が分かるのが日本語で、「は」とか「が」とかその他の助詞とかを付けるのは、それとは別の要請によるところが大きいように思われます。
 日本語は、同じ助詞の連続を嫌う傾向にある言語なので、「は」「が」のような何かしらの変化が付けたい、というのが、背景の1つと思われます。なお、その縛りの中で比較的続けてもよい種類の助詞があるかどうかは別問題です。そして、書記日本語は、いわば半ば無理やりにでも助詞を付けようとする言語なので、「象は鼻長い」と漢文訓読に似た書き方はせず、「象は鼻が長い」と「が」を付けることが求められます。「が」と「を」とについても、同じ助詞の連続を避けるために、どちらかに言い換えることがよく行われます。

「象は鼻が長い」と「が」を付けること求められます。
「象は鼻が長い」と「が」を付けること求められます。

 可能や受身の場合、「が」「を」で、意味がどう違うのかという議論は、余り成果が出てこない可能性もあるかと存じます。なぜなら、その使い分けの主な目的は、同じ助詞の連続を避けることにあるようだからです。

参考文献:
注1:国立国語研究所『日本語の文法(上)』1978
注2:江副隆秀『日本語の助詞は二列』創拓社出版2007p217-228
注3:山口明穂『日本語の論理―言葉に現れる思想―』大修館書店2004

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