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l'm ok,you're ok.*敬うことへの考察。

最近、哲学的なものに興味をもっています。

今日は、敬う(謙遜する)ことについて。

①l'm ok,you're ok=自分にも他者にも肯定的

②l'm not ok,you're ok=自分には否定的だけど、他者には肯定的

という考え方があるとします。

もちろん①が望ましい。自分も相手も対等に認めあって関わっていけたら。でも、いつもそんなにフラットにはいられないことはないでしょうか。誰かを上に見たり、下にみたり、無意識にでも意識的にも人と比べたり。差別とかいじめとか、そこまで話がいかなくても、①みたいな状態にある、ってなかなかに難しいと思うんです。

※いや、そんなことない、私はいつでも、①だよ、という方は、そっとその極意をnoteに書いて頂けると、私が喜びます笑


私はずっと、人を敬うって、②の意味だと思っていました。相手より自分を一段下に置くようなイメージ。自尊心的には下げる行為なのかな、と。

でも、もしかしたら、②をすることで、①に限りなく近づける、というのではないか、と思い始めたんです。

武道とかに型、礼儀とかがあると思うんですが(ごめんなさい、全く詳しくないです)、②という型に当てはめるということで、自分の①になれない状態を調整して、そうしているうちに、自然に①になれる、みたいな。ある種の様式美、みたいな。ボケとツッコミのお約束の中で神聖さがうまれる、みたいな(どういうこっちゃ。)。

あくまでも、型であるから、気持ちは①なんですね。

それでも、万能ではなくて。①に表面上近づけたり、ほんとに①の関係性になることもあるかもしれないけど。例えば、型に同化しすぎると、いつの間にか②になってしまっていることも。そこを脱するには、やはり自分を律する何かが必要な気がしています。

礼儀だけではない、なにか。なんだろう。自信?自分軸?

自分軸、って最近のテーマみたいです。

①の状態でいられることは、凄く幸福な状態。幸福、気になる。


今日も、良い1日を。


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