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せめて黙らない

社会人になってから、まさに光陰矢の如く時が過ぎていく。
時間の経過が早すぎて、追いつくこともできない。

社会に出てからというもの、
「黙るスキル」みたいなものが嫌が応にも身についてしまい気持ち悪い。

昔から知っている人にライブを見て言われた、
「なんか大人になっちゃったな」というセリフ。
社会に出ることで。無意識に何かに侵されているんだな、
と思い悲しくなったけど、正直そのアドバイスはあまりピンとこなかった。
ピンとこなかったというより、自分の孤独さが助長されたようで、少し辛かった。

誰もが生きるような人生を辿りながら、そこにいながらにしてそこから距離を取る。その距離の中に生まれる感情や思想が音楽になるのだから。
だから表面的には大人になるものなのだ。

でも一方で最近ライブに気持ちが乗らないのも事実だ。
精神的な余裕というか、30分の中で常に自分は自分の統治下に置かれているような感覚がある。ふわっとずっと諦めが漂っているような感覚とも言えるのだろうか。昔は熱っぽくギターをかきむしったり、突然社会学者の言説に盾を突いたり、色んな行動をしていた。それはまさに、ある一面の自分なのだが、そういった自分をむき出しにすることに、歯止めがかかっているのだ。

「政治的なことを言うバンドってダサいと思うんですよね〜」
とほざいていたバンドマンがいた。

昔だったら、そんな打ち上げは速攻で隅に逃げ、そのまま帰っていた。
でも昨今の僕は、苦笑いして飲めない酒に口をつけて終了。
これ自体は適切な判断だった気がするのだけど、違和感が拭えない瞬間だった。

何が変わってしまったのだろうか?
なぜこんなにも感情を押し殺すようになってしまったのだろうか?
「黙るスキル」だけが、社会に出たことで育ってしまった。

「なんか大人になっちゃったな」
と言うセリフは、今でもピンときてないけど、
ほんとはピンときてないふりをしているだけなのかもしれない。
自分が目を向けたくない、でも本当は何より目を向けなくてはならない事実だから。

何があっても戦争なんか反対だ。
資本主義に毒されてる奴らとは仲良くなれない。
人間を浅薄にラベリングする奴は嫌いだ。
一生"中央"に馴染むことはできず、
いつも輪の少し外側から、この世界を眺めている。
そんな自分が、とてもオルタナティヴな存在だと社会に出て気付いてから、
ゆるい挫折が止まらない。

でもせめて音楽を鳴らす時は、ライブをしているときは、
あらゆることに疑問を抱いている自分を、包み隠さず届けたい。
社会で蓄えた葛藤を、同じ爆弾を抱えた誰かに届けたい。
そのためには、しゃらくさい「黙るスキル」は、会社を出た瞬間に
脱ぎ捨てなくてはならないのだ。


この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。