見出し画像

ひとりにならないために/ひとりでいるために

2021年が終わる。

そもそも生きることは、しんどい中に輝きを探す作業だと思っているので、今年も今年なりに思うようにいかないことばかりだった。
ただ、2021年が自分のこれから数年間の生活にとって大きな転換点だったことは間違いのないことだと感じる。

自分の周辺に新しい流れが出来た一方、
自分の今の境遇を案じて、変わるべきか変わるべきでないか悩み、
それが自分自身の過去と向き合う引き金になり、
そこから創作のテーマが生まれた。

何か大きな花を咲かせようとしている過程にいるとしたら、
種植えをして、間引きをしているような期間だった。
とても地道で、とても重要な時間。
まだ手応えはないけど、後から効いてくるような時間。
死ぬ時に振り返った時、そんな1年であってくれたらと願っている。

この時代との向き合い方もだんだん心得てきて、
2020年に比べて、特に下半期はひとりでいることが減った。
だからこそ余計、ひとりでいる時間を大切にするようになった。

だいたい自分の創作は、(社会を含む)誰かとの関わり合いや関係性を起点に生まれる。でも、つくるときは誰にも邪魔されずに、たったひとりでつくり上げる。だからひとりにならないようにしながら、ひとりでいる。

会社に行くことが増え、関わるコミュニティが増え、
様々な人と関わる中で、
自分と他を比較してなんとも言えない気持ちになったり、
誰かとコミュニケーションを取るとき、自分の言葉でなく相手の言葉で何かを語ることは、果てしなく難しい作業だなと感じたり、
自分じゃなくてもできることを自分がやっている現状を憂いたり、
自分が生きる街の有様を、散歩しながら眺めたり。

ひとりにならないでいることも、ひとりでいることも難しい。
関わり合いはコントロールできないから、望んだタイミングに蜘蛛の糸を操るように、誰かを呼び寄せたり、突き放したりすることはできない。
この生活のバイオリズムを受け入れたり、受け入れられなかったりしながら、やってくる1日1日と主導権を握り合って、時に辛勝、時に大敗。

そうしているうちに、この言語化不可能な状況を、
なんとか歌詞と音楽にしなければ!となり、ひとりになる。
これが自分の人生の原則だということに、
このルーティン保つことがとても難しいということに、
2021年はあらためて気付いた。

そもそも僕は周りにいる人のことより、自分のことの方が全く理解できていない。だから人のものに関わるときは、わりと良くできて行くのに、
自分のことになると、現状を解き明かして方針を立てるのに果てしなく時間がかかる。だからこそこのnoteは、来年以降も自分自身のリハビリルームとして、ひとりであり続けるための場所として、続けていければと思う。

今日はただこのnoteの激レアな読者に今年もありがとう、と言いたいだけだったのに、またも不憫な自分語りになってしまったのが、少し悲しい。

こんな行くあてのない文章でも最後まで読んでくれてありがとう。
来年もみんなで生き抜きながら、どこかできっと会おう。

音楽を通して自分と向き合い果てた先に、
圧倒的な孤がひとりを超えて行く瞬間を待ち望みながら、2022年に向かう。
みなさまのこれからが輝く日々になりますようにと願いながら、
明日からも自分のことを歌い続けたいと思う。

この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。