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二度目の僥倖

今でもはじめてライブハウスに立った時のことを覚えている。
それは2016年の秋頃だったと思う。なにを覚えているかというと、
ステージの記憶はなく、終わった後に「曲以外全部ダメ」と言われたこと。
全く歯が立たない感覚は自分でもよくわかっていて、それが全ての原点になっている。

僕を見出してしまうような、ちょっと変わった大人の人たちに声をかけてもらって、チームを組んで試行錯誤した日々もあったような。
その時のことも、まだおぼろげに覚えていて、未熟だったという感覚が確かに残っている。
しかし、"全力"というものの古い定義がその世界には一方的に存在していて、こちらは価値観を調整する必要があったりして、葛藤した末に情熱を失っていった手触りも覚えている。
(この日々はいい経験になったし、だからこそ僕は今の職業を選び、バンドも続けている。)

巡り巡って2020年、気づいたらひとりになっていた。
そこからというもの、風前の灯をなんとか消さぬように少しずつ少しずつ音楽を転がしているような日々が続いてきた。

でも思い直してみるに、
音楽をやめていない時点で、これは自分にとって大きな幸運だったのだとこの頃思う。右脳の上っ側の方にずっとかすかに、

音楽=やめてはいけないもの

という確信だけが漂っていた。

2022年、Turns blueは再びバンドとなった。
マツバラユーヤという男とは、SNSを通じて知り合い今に至る。
僕は打ち解けるまでに時間がかかる人間なので、約2年、気まぐれな自分の活動にサポートとして付き合ってくれた時点で、もうありがたい。

もちろん、人間と人間の集合体なのだから、この体制もこのバンドもいつまで続くのかは誰にもわからない。でもこのタイミングで今までバンドも、サポートもほぼやってこなかった彼が、加入するという選択を取ってくれたこと自体が、このバンドにとっての幸運であり、何かの兆しを感じさせるのだ。

もともとひとりで音楽をやる覚悟を持って、2020年にソロプロジェクトとなった。
でも曲を作っていくうちに、表現は、やはり誰かに通じて、誰かに届いて成り立つものだと思った時、たった一人で他者性を帯びた創作をするのは、究極的には不可能なのだと思い知った。自分が作ったものを、誰かと一緒に鳴らす。誰かと共有して、洗練させる。多くの人に作品を届けるために、まずは同じ歩幅で音楽を鳴らしてくれる人を見つけなければならないし、自分自身が見つけたいのだと感じた。

だからこのタイミングでバンドに戻れたこと、自分という人間と音楽をやろうと思ってくれる人がいること、そしてそれがマツバラユーヤであるということ、その奇跡の確率、この偶然に僕は心から感謝し、高揚している。

僥倖、とは偶然に得る幸せのことをいう。

今日この日は、Turns blueにとって、自分にとって二度目の僥倖だ。
もしかすると、これは用意された必然の未来だったのかもしれないけど。
これからも頭を抱えて、頭を抱えて、手を動かした先に何かがあることを信じて、それを仲間と分かち合いながら、進んでいきたいと思うのだ。

哲学するオルタナティヴ・ロックバンド
Turns blueのシン・第二章に、ご期待あれ。


この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。