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昔の自分と遭遇して

以下にあげたのは今から3年以上前に書いていた文章だが当時夏場に毎日マスクをしているのが当たり前になっているとは思わなかったろう。
書いている時期はウイルスが人々の生活をこんなに変化させるとは想像も出来なかった。

この時期に今の予測が出来る人がいたならばきっとマスクを大量に仕入れて一儲けしたかAmazon株で儲けていたことだろう。

2017.01.19「マスク考」
毎日マスクをして出社している。
そんな季節だし、日本人はマスク好きだし、小顔効果もあるし、素っぴんでも気にならないし……。
色々とあげてみるけれど、咳をしだすと止まらなくなるので、周囲に迷惑がかかるだろうからという配慮からが本当のところだ。いつもしてない輩がつけているというのを周囲は反応するものである。
まだ治らないんだね
とか、
次にならないための予防も兼ねているのか⁉
とか、
いや、やっぱりこれはした方がいいよね❗
とか……。マスクひとつで色々な反応があるものだと感心する。
今週ずっとしてみて気がついたのは、寝ている間によだれがうっかり出ても本人にしか気がつかないこと。
くしゃみと共に、または自然と鼻水が出ても本人しか気がつかないこと。
マスクのなかは案外と不衛生になっているが、外には影響がない。
本人が不快なので、替えを持ち歩くようになる。
ますます衛生的である。
そして、帰宅途中にお腹がすいても、マスクをしているので、鞄に入ったお菓子をつまむのに躊躇する。かくして、腹ペコのまま夕飯に突入できる。
本人にはいいことずくめな気がする。
ただひとつ、顔のほとんどをマスクで覆うため顔の表情がわからない。
話ながら表情を作っていても、多分マスクで覆われた部分は分からないんだろうなぁ。
それと、耳の不自由な障害者雇用の彼女とうっかりぶつかった時は、話が通じない。大変なのはこちらでなく、相手であるが。
咳が無くなったらやっぱりマスクははずすことにしょう。

あの時職場で仲良かった聴覚障害の彼女は今頃どうしているだろうか。

彼女は口元を見て会話をしていた。

まだハタチを少し過ぎたばかりで我が子と大して年の差がなかった。

だけど彼女は私を同僚として自然に扱ってくれた。

彼女と私は同じ部署に配属されたのは2週間しか違わない。

私は3月初旬、彼女は3月の半ばから。

彼女は障害者雇用で、前任者が腎不全の人だった。だが突然体調を壊し出社できなくなり丁度雇用期間満了と重なったため急きょ採用となった。

当時は障害者雇用の枠があった。

私は前の職場の上司と上手く行かなかった為に出されたようだ。

表向きは10年同じ仕事をしていたので職場を動かすということだったが…。

私も彼女もここでの仕事は初めてでお互い仕事の内容にも職場の雰囲気にも慣れるに必死だったのだと思う。

少なくとも若い彼女がいることが私の支えであり救いでもあった。

いつも明るくてことばがよく分からない時はスマホの画面に文字を書き教えてくれた。若い女の子がひとりで頑張っている。

彼女は地方から母親と上京して仕事を探していた。東京に来ればきっと仕事が見つかると思って一年探したが都内でいい場所がなかったのかもしれない。

埼玉に住んでいた彼女は東京を抜けてその先にある我が社に配属された。それでも最初は母親と住んでいたので寂しくなかったのだろうが通勤が遠いので近場に借りたころで母親は地元の彼女の弟たちの元に戻って行った。

それから暫く彼女は眠れない日々を過ごした。ホームシックだったのだろう。お盆に実家に戻り元気を取り戻して出社した。

若い彼女は仕事の覚えが早くてきちんとしていた。廊下ですれ違うと私に頑張りましょう!と声を掛けてくれた。

その頃の私は上司から結構なダメ出しを食らっていた。上司は好き嫌いで査定をするやつで、私は二年半にわたり最低評価を受け続けた。当然定期昇給は二年間なかったしこの評価のために時期的に最後のランクアップを逃した(丁度会社の人事制度が変わりこれから私達万年組合員のランクアップは難しくなってくる。瀬戸際で前回一緒に昇給していた人は上がっていた)。

彼女の方は二年いても全く時間給が上がらないので理由をこの上司に聞いたそうだ。

そういう契約だということで、それならと2年目の契約を更新してひと月目に契約解除して欲しいと申し出た。うちより条件のいい会社を受けたのだそうだ。

若くて笑顔がかわいいしっかりものの彼女を採用しようとする会社はもちろんあるだろう。

送別会は部ではしなかったけれど私と先輩と数名とでひらいた。

今でも彼女から習った手話をいくつかだけど覚えている。

今のマスク着用が当たり前の世の中は彼女にとって生きやすいのだろうか。



まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!