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神無月になりました。

今日から10月。

本当は毎日記事のアップをしたらどうなるんだろう?と思っているので継続して書きたいのだが時間がないのでストックもない。

だいたい帰宅してPCに向かうのが夜の11時半すぎなのでそれから30分で仕上げるのがほとんどなんだがまぁ間に合わない。アップの時間が0:00をちょい超えるともう「2日連続!」とかに変わってしまって脱力する。

だからと言って写真を撮ってあるわけでもないし、ポエマーでもないのでちょろりと人が覗いていいと思ってくれるものもない訳でこうして文字を稼ぐことしかできない。

おかげでせっかく来てくれて♥マークを押して下さる方やフォローして下さる方の所へも行く時間が余りない。

ひょんなことから出向くことはあってもなかなかご新規の方に挨拶するまではいかない。

フォローしている人の元には通勤電車の中で見ていたり、時間のある間に見ている。出来るだけコメントも入れたいがなかなか出来ない方もいる。


さて本日も遅い時間にPCを打ちながら何を書こうか考えて考えて浮かばず今に至る…。


突然何か急ぎの用事があった様に夏は後ろも振り返らず去ってしまった。秋はそんな夏と入れ替わったがまるで前からここにいましたと言わんばかりのすまし顔で今週からここに座り込んでいる。

急に気温が低くなり会社で訃報を打つ機会が増えている。

もちろん本人ではなくほとんどその親の訃報。

先日は香典まで纏めないとならなかった。

香典辞退と書いてあってもその通りしないので私の周辺ではお返しないしで一律いくらと決めて有志と言う名で暗黙のうちに強制で出させられる。

それだけならまだいいが、他店所の人の親が亡くなったことで支店長と支店社員一同の弔電を打つ。

しかも他店所の文例と被るな、台紙もなるべく合わせろという。

今日は2か所の所属が異なる人の親が亡くなり弔電を打ったが、その人の所属する部署から出した弔電に合わせて異なる似たような文例と異なる似たような台紙を選んでお願いした。

で、うちの部として並べた時、台紙の値段がちょっと違ったり、内容が少し長かったり短かったり…。

正直めんどくさいのでどうでもいいが、お互いに合ったとして違うのが分かると良くないから(誰も台紙まで気にしてないと思うんだが)当支店ではほぼ同じに合わせろという。

そういうことは早めに言ってくれ、もう手配してしまったよ。

と思うが仕方なく変更の電話を入れる。

死者には申し訳ないが後の方の人、あと一日頑張ってくれたら…。


お悔やみの通知を見ると亡くなった方の年齢が出ているのだが、平均寿命まで生きる年寄りが多い。平均を超えるといきなり更に10年寿命を延ばしている様に感じる。

わが親を見ていても分かるが、今は病院に早めに、またはこまめに行くせいか死ぬことが難しい。ぽっくり行きそうなことが何度もあったが両親揃って病院に助けられ今も健在だ。

しかし本人にとってそれがいいことなのか良くないことなのかはっきり分からない。

少なくても我が母はデイサービスを楽しみにしているからまだ生きる気は満々だ。

なんでも若い人が自分の話を沢山聞いてくれるらしい。そうかそりゃよかった。

家では妹たちがいるものの口を開けば不満ばかりいうので相手にされない。相手にされないから更に妹たちの悪口をいう悪循環なので自分の娘たちにどうしてそんな言い方をするのだろう?と思う。

他人に対しては悪口はいわないのに…。

私は実家を出たので親とはほとんど喧嘩もしないが、妹たちに酷い言葉をかけるのに注意をしてしまう。我が息子たちも

あの家いつか殺人事件で警察に捕まるよ

と言う。母に何かを言ってももう変わりようがないから妹たちに我慢してくれるように頼むしかない。

父はデイサービスは嫌いなのか?と聞くと何も見えないので(糖尿の悪化でほとんど見えない)リハビリで出来ることも少なく嫌らしい。

そして硬膜外血腫で2度ほど入院してすっかり頭の一部が変になっている様に感じる。

こちらも酔うとよく分からないことで怒る。

おとうさん、昔はささいなことでは怒らないひとだったのに。

そう言われるが脳の一部が制御不能で怒ってしまうらしい。


私たちの生死は自分で決めているようで実は決まっていると思っている。

例え自死でも許されない人は死ねない。

逆に今日いきなり亡くなる人もいるだろう。

でもそれを決めているは神様だ。私たちを作った神様がもういいから課題は一端ここまでと思ったら帰らなくてはならないだろう。

呼び戻されないうちの年寄りたちや私はまだ取り組まなくてはならない人生の課題を仕上げている最中なのだろう。

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