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スマートフォンを放り投げた

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財布も携帯電話も家に置きっぱなしにして、近所を散歩してきた。思いのほか外は涼しくて、川べりを歩くと鈴虫が鳴いていた。

目の前を茶色の物体がさっと横切ったので後をゆっくり追ってゆき、物陰を覗き込むと丸い顔をしたトラ猫と目が合った。

チチチと舌を鳴らして呼び寄せてみたが、やはり踵を返して逃げていった。

そのまま川沿いを歩くと左手に竹林が見える。風が吹くとざざざと揺れて、日中に受けとめた雨粒をいっせいに振り落とし、霧のような飛沫がおれの二の腕や顔に跳ねるが不快ではない。

さらに歩くと先程のトラ猫が草むらで寝そべってこちらを眺めていた。こちらがのろまであることをわかっているのだろう。実際その通りで精一杯走り寄ってみても彼奴にはきっと追いつけない。

トラ猫を見ると昔家で飼っていた猫を思い出して、餌付けしてでも撫でたい衝動に駆られるがあいにく手ぶらである。

かつての飼い猫は目の前の野良と毛色こそ同じであるものの、もっとふてぶてしい顔をしており、さらに太っていた。

暑い季節はおれの顔の近くで眠り、寒い季節は布団の中に潜り入ってきて、おれの腹の上で箱座りをしながら寝入ることが多かった。

肥満体の猫はそれなりの重さがあるので、一度寝付いたおれは腹の上の重みによって時折うなされることとなる。

その度に目を覚ましては「やっぱりお前か」などと座布団のような形で鎮座する愛猫に語りかけ、腹の上からどけてはまた眠り直すのである。

そんなことを思い起こしているうちに町内を一周し、家に戻って今これを書いている。やはりスマートフォンは時折遠ざけておくべきだ。

さもなければモニターの中だけですべてをわかったような気になってしまい、晩夏の夜風の柔らかさも涼やかな竹林のざわめきも知ることなく、ただただ平べったく痩せこけた世界でマスを掻くことしか出来なくなってしまうからだ。

飼っていたトラ猫は半野良であったため、いつのまにか我が家から消えていた。

顔は不細工で、身体は太っており、なにかにつけ鈍臭い猫らしからぬ猫だったが、おれにはとても懐いていて愛想がよかった。

もう二十年以上前の話である。

(了)

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