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俳の森

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30年程句作を続けていますが、ここ十年位の間に俳句について考えたことを一話1000字ほどでエッセイ風にまとめてあります。俳論風エッセー『俳の森』が本になりました。(東京図書出版、… もっと読む
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記事一覧

俳の森-俳論風エッセイ第59週

四百七、 踊子の季語論づかづかと来て踊子にささやける      高野 素十 を使って、季…

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俳の森-俳論風エッセイ第58週

四百、映像詩作者の視点再現により、感動の場面の再現を試みたものが俳句だと考えると、俳句は…

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俳の森-俳論風エッセイ第57週

三百九十三、切れと間合い現在のような形で句会が行われるようになったのは、子規以来のことだ…

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俳の森-俳論風エッセイ第56週

三百八十六、作句の現場月一回の句会で俳句仲間のIさんがこんな句を投句されました。 早乙女…

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俳の森-俳論風エッセイ第55週

三百七十九、場面を詠う(句文をつなぐ場のちから❷)「場面を詠う」(2/3)は、一句一章で…

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俳の森-俳論風エッセイ第54週

三百七十二、物その物たくさんの俳句を選句するとき、選ばれる句の共通点は、句のなかに読者を…

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俳の森-俳論風エッセイ第53週

三百六十五、一輪挿しの美美術館で一枚の風景画の前に立つと、そこは自ずから画家の立ち位置ということになるでしょう。画家は実際の景色の中からその場所を選び、そこにイーゼルを立て、風景を描いたのです。鑑賞者にとって絵を見ることは、作者と同じ位置に身を置き、作者と同じように風景と対話しながら、風景のもつ情趣を感受することに他なりません。 俳句を鑑賞する場合も同様ではないでしょうか。殊に写生句においては、ことばに触発されて、読者の想像力が風景を描きだすのです。そこに立ち現れるのは、まさ

俳の森-俳論風エッセイ第1週

一、俳句の短さについて俳の森に踏み込んで二十五年。瑞々しい新緑や、小鳥の声や、みごとな紅…

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俳の森-俳論風エッセイ第2週

八、理屈について俳句もいくつかの文で一つの文章(○句一章)をなすものですから、確かに叙述…

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俳の森-俳論風エッセイ第3週

十五、鳥の句あれこれ私事になりますが、わたしは現在、茨城県取手市に住んでいます。八年程前…

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俳の森-俳論風エッセイ第4週

二十二、初心者のための作句講座 その三いつまでたっても俳句は難しいものです。あるとき、次…

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俳の森-俳論風エッセイ第5週

二十九、季語が主役ということ 前回わたしは、季語は一句のなかで主役となるべきことばだと述…

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俳の森-俳論風エッセイ第6週

三十六、定型と字余り 五・七・五の定型は、作者に対しては、五・七・五で俳句を作るように働…

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俳の森-俳論風エッセイ第7週

四十三、自選の難しさを克服する方法 皆さんは、句会などで自信作が選ばれず、そうでない句が選ばれるという経験をお持ちではないでしょうか。自信作は思い入れが強い分だけ、句の欠点に気づかないことに加え、選句されなかったことが記憶に残りやすいようです。 これを一言でいえば、自選の難しさといえましょう。その理由は、作者である自分は、句に書かれていないことまで全て知っているということに尽きるのではないでしょうか。また、そうである限り、いくら気をつけても、すこし油断すると同じような過ちを