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【詩の森】田んぼのほとり

田んぼのほとり
 
16年程前に
この地に引っ越してきたのは
新開地の隣に広がる
田園風景に
ひとたまりもなく
魅了されたからでした
それは
どこまでも広がる
いちめんの青田原―――
どこか懐かしいような
心安まる景色でした
それにしても
なぜあんなにも
気に入ってしまったのか
今思い出しても
不思議なくらいです
 
定年退職するまでの
前半の8年間は
そこから東京の職場まで
往復3時間かけて
通っていました
生まれた場所が
第一の故郷なら
ここはいわば第二の故郷
朝起きると二階の小窓から
田んぼを眺めることが
いつしか
僕の日課になりました
ここに来て
しばらくぶりで
四季を実感することが
できたのです
 
蕭条とした田んぼが
冬の眠りから覚めるのは
立春を過ぎてまもなくです
気の早い耕耘機が
音を立ててやってきます
鋤かれゆく田には
匂うばかり黒土が顔を出します
そこに
春雨でも降ろうものなら
しっとりと濡れた田の面は
えも言われぬ安らぎを
与えてくれるのです
昔は殆どの人が百姓でしたから
僕らの内に眠っている
DNAが
目覚めるのかもしれません
―――春雨や黒田を仕切る畦の草
 
やがて
4月も20日を過ぎると
春田の風景は一変します
田植の準備が始まるのです
縦横に走る水路には
小貝川から引かれた水が音もなく流れ
1週間もすると
見渡す限りの田んぼに行き渡ります
その水を待っていたかのように
夜になると
蛙のあの大合唱―――
朝まだき
靄にけむる田んぼはまるで湖―――
この湖はしばらくの間
朝焼けの空を映し込む
大きな鏡にもなるのです
―――あけぼのの曙色の代田かな
 
しかし
それも束の間
準備の終わった田んぼから
順番に田植が始まります
昔は田植といえば人海戦術
ところが今では
機械の独壇場です
眠たくなるようなエンジン音を
しばらく聞いたかと思うと
田植はもう終わっています
五月の連休明けには
あの湖はいちめんの植田へ
様変わりするのです
植えたばかりの早苗が
いかにも頼りなげに
風に吹かれています
―――早苗田に雨の水輪の生まれつぐ
 
何の変哲もない田んぼですが
近づいてみるとおや何でしょう
広々とした田の面を
自在に駆け回っているのは―――
この頃になると
決まってやってくる
鴫や千鳥の仲間たち
遠くシベリアを目指す鳥たちが
渡りの途中で羽を休める中継地なのです
きっと黙契のように
何百年も続くしきたりなのでしょう
ダイゼンやムナグロ
ときにはキョウジョシギを
見かけることもあります
見知らぬバードウォッチャーが
やってくるのもこの頃です
―――胸黒の影のさ走る植田水
 
俳句では
苗が成長して
未だ穂が出る前までを
青田といいます
まさに夏の田んぼです
青田風 青田波 青田道などの季語には
そこに美を見出した
先人たちの心が躍っているようです
ヒッヒッヒッ チャッチャッチャッ
不思議な声の鳥が
青田の上を自在に
飛び廻っています
鳥の名はセッカ
雪加と書く
雀ほどの
エネルギッシュな鳥です
―――逆波にうねる川面や雪加啼く
 
青田はやがて
穂孕み期から
出穂期を迎えていきます
この頃の田んぼは
心なしか黄味を帯びてきて
特に曇りの日などは
まるで光を宿している
かのようです
穂が出てくれば
もう青田ではなく稲田
自然と人の力が育てた稲田です
当地はかつて
相馬二万国と呼ばれました
田植からほぼ4が月
9月の初旬には晩稲田を残して
稲刈りが済んでしまいます
―――青々と晩稲田残る二万石
 
稲刈りの済んだ田は
刈田と呼ばれ
障害物のなくなった田を
我が物顔に風が吹き抜けていきます
しかし
実は生き残っている切り株から
また芽が出てくるのです
これがまごいねとか
穭(ひつじ)と呼ばれるものです
穭は30センチほどにしか
なりませんが
それでも実を結びます
それがこんどは
白鳥などの冬鳥の餌になります
何という無駄のない
自然の営みでしょう
―――穭田にひかりを纏う鷺一つ
 
田んぼのほとりに住んで16年
小窓から覗いた美しい風景を
脳裏に焼き付けながら
暮らしてきました
ほんとうにこの世には
一秒とて同じ空はなく
一日とて同じ風景はないのだと
初めて知りました
僕がこの地を終の棲家に選んだのは
瑞穂の民のDNAがもたらした
直観だったのかもしれません
それにしても瑞穂の国―――
なんと美しい言葉でしょう
僕らの心を育んできたのは
まさにこの瑞穂だったのでは
ないでしょうか

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