父について思い出すこと

父の日なので、自分の父親について覚えていることを書こうと思います。亡くなってもう15年ほどになります。

彼は郷里の街で酒店を営んでいましたが、商売が熱心すぎて夜の11時まで店を開けていました。

田舎町でそんな時間に酒を買いに来るのは、ありていに言って、まっとうな酒癖の人ではありません。酔っ払って追加の酒を買いに来たおじさんの後ろから奥さんが「あんたもうやめて」と泣いてすがって引き止めるといったような光景を、子供の頃から見ていました。

そんなとき父親は、「酔っ払いには酒は売らん」と追い返していました。

彼自身も大変な酒好きで、三食飲んでいる日もざらにありました。いちおう商売はしておりましたが、今にして思うとアルコール依存症だったのかもしれません。

それでも不思議なことに、他人に飲酒を強要する人ではありませんでしたし、一気飲みをさせるなどもってのほかという考えでした。

「酒の飲める飲めないで人間性を判断するなんざ、それこそ最低の人間のすることだ」と言っていました。この言葉は、今でも大事だと思っています。

日本酒も好きでしたし、ウィスキーも好きでした。子供の頃、父親のウィスキーをこっそり嗅がせてもらったら匂いにびっくりしてしまいました。あれがピート臭と言うものだと知るのは、もちろん僕が大人になってからです。

ある晩、気持ちよさそうに酔っ払った父親が、夢見心地でつぶやきました。

「酒はいいぞ、一晩酌み交わせば、十年来の友だちになれる」

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おそらく彼は、面倒見の良い人だったのだと思います。地域の夏祭りにも積極的に参加し、中学のOB会のようなものの会長を務め、そして保護司もやっていました。

保護司というのは法務省から委託された民間のボランティアで、非行少年の更生を手助けする役割といえばいいのでしょうか。僕が中学校から帰ってくると、少年院から帰ってきた怖い上級生と父親が面談をしていました。「今の寿司屋の仕事はどうだ、働いていて困ったことはないか」みたいな話をしていたのを覚えています。

しかしその子供からすると、どうしてもそれが「外づらの良さ」と映ってしまうものです。それがちょっと苦手でした。

父親のそうした姿を友達に話すと、「そういうところ、受け継いでるんだね」と言われます。僕の二丁目での振る舞いを長く知っている友人の感想ではありますが、そうなのかなあと、気恥ずかしいような面映いような気持ちになります。

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父親について一番嫌いだったのが、短気なところでした。権威的でしたし、怒り方も理不尽でした。だからこそ彼の「外づらの良さ」をいっそう苦手に感じたとも言えます。

とは言うものの、僕も母親と話をしている時に、話が通じないとつい口調を荒げてしまうことがあります。「そういうところあんたお父さんとそっくりね」と言われて、はっと胸を突かれた思いがしました。

父親の中で一番苦手だと思っていた属性が自分の中にあったと知るのは、なかなかつらいものがあります。

友人の目から見た僕、母親の目から見た僕、それぞれに父親から受け継いだ点があるようです。それも年を取ったということなのでしょうか。

うちの実家は七月盆なのですが、母親からは無理して帰ってこなくていいと言われました。お寺の和尚さんが、今でもコロナに関して神経質なんだそうです。

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