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ラファエル前派のモデル ジェーン・モリス

Jane Morris(1839-1914)

1865年、John Parsons撮影

馬丁の娘、ジェーン・バーデンとしてオクスフォードに生まれる。10台の後半に、観劇をしていたところをロセッティとバーン・ジョーンズに見出され、モデルとなる。貧しい出自で教育も受けていなかったが、中流階級出身で、オクスフォード卒のウィリアム・モリスと婚約した。裕福な紳士の夫人としてふさわしい振る舞いを身につけるため、語学や音楽の教育を受けた。結婚後にロセッティと不倫関係に陥り、ロセッティはモリス一家と同じ家に暮らしていたこともある。二人の関係はロセッティが死ぬまで続いた。また、ジェーンはモリスがデザインしたタペストリーの刺繍を行った。

モデルをつとめた主な作品

ウィリアム・モリス トリスタン伝説のヒロイン

ウィリアム・モリス《麗しのイスールト》テイト美術館、1858年

トリスタンがイスールトの夫であるマルク王の宮廷から追放された後に、イスールトがトリスタンを想っているシーン。ベッドの上のイヌは、トマス・マロリーが、『アーサー王の死』に書いた、トリスタンがはじめてイスールトに出会ったときに贈ったグレイハウンドであるとされています。イスールトは髪の毛にローズマリーを付けています。これは、「追憶」の表象です。

本作は近年までアーサー王の妃、ギネヴィアとされていました。ウィリアム・モリス唯一の油彩作品で、テキスタイル・デザインが専門であったモリスは、油絵制作には手こずりました。ドレスや絨毯、家具やベッドカバーの模様が入念に描かれているところがモリスらしいです。描かれた調度品はモリスの私物であったようです(出典)。

トリスタンとイスールトの悲恋物語は、ツバメが運んできたイスールトの金髪に、マルク王が目をとめ、トリスタンに「この髪の毛の持ち主を探し出したら結婚する」と宣言するのが重要な場面の一つです。黒髪のイスールト像は違和感があります。

エドマンド・ブレア・レイトン《歌の終わり》1902年、個人蔵
イスールトといえば、このように金髪のイメージ

なお、モリスがジェーンと婚約後、いろいろな教育を受けさせた顛末は、のちにモリス夫妻の娘であるメイの恋人となったバーナード・ショーの戯曲、『ピュグマリオン』のインスピレーションとなりました。ジェーンは戯曲中のヒギンズ夫人のモデルとされています。

ロセッティ ギリシア神話のヒロイン

ロセッティ《ペルセポネ》テイト美術館、1874年

ギリシア神話のペルセポネは、美青年アドニスを愛していました。しかし、冥王、ハデスに略奪され、年間6ヶ月間は黄泉の国に閉じ込められて生活しています(見てきたようなことを言っていますが、真偽のほどは確かめていません)。

ザクロの赤は、ペルセポネの唇の色と呼応しています。壁の蔦は思い出と時の経過を、影の部分は黄泉の国の暗さを、光が当たっている部分は地上で過ごす時を表しています。また、水の流れのような青いドレスの布は潮の干満=時の経過を表しているそうです。

ロセッティは、意に沿わぬ結婚をし、夫に閉じ込められたペルセポネをジェーンに重ねていたようです。ジェーンは、当初からモリスを愛していませんでしたが、貧しい環境から抜け出すためにモリスとの結婚は必要でした。年を取ってからも「もう一度同じ状況になったら、同じ選択をするでしょう」と言っていたそうです。モリスは、ロセッティと妻との不倫関係に寛容でした。ジェーンはロセッティが亡くなってからは他の男性と不倫関係に陥りました。

ド・モーガン 砂時計

イーヴリン・ド・モーガン《砂時計》1905年

イーヴリン・ド・モーガンは、マリー・スパルタリ・スティルマンと並ぶ、ラファエル前派を代表する女性画家です。旦那さんは陶芸作家のウィリアム・ド・モーガンです。

《砂時計》は時の流れや、老い、生と死をテーマとした作品であり、ド・モーガン自身は「ベートーヴェンの『ヴァルトシュタイン・ソナタ』の一部分への反響である」と述べています(出典)。

本作のモデルとなったとき、ジェーンは既に60を超えていたはずですが、往年の堂々たる美貌は衰えていません。

刺繍作家として

ケルムスコット邸の寝室、author Daderot
  • ケルムスコット邸は、モリスの自宅です。ベッドカヴァーの刺繍はジェーンが行い、カーテンとヴァランスのデザイン・刺繍は娘のメイが行いました。

  • ウィリアム・モリスの展覧会は頻繁に開催されます。壁紙や家具なども美しいですが、精密で手のかかった、手工芸による刺繍やタペストリーのすばらしさに目を見張ります。 ヴィクトリア朝の中・上流の夫人にとって刺繍は不可欠のたしなみでした。モリスのデザインによるタペストリーは芸術とハンドクラフトが見事に融合しています。とはいえ、モリスの工房で制作された家具やタペストリーは高価に過ぎ、彼が当初、目指したように「一般庶民の生活に美を」という目的には合致しなかったようです。

その他、ロセッティ作品

《ジェーン・モリス》1868年、ケルムスコット邸
《ベアトリーチェ》1879年、個人蔵
《窓辺の婦人》1879年、フォッグ美術館
《白昼夢》1880年、ヴィクトリア&アルバート美術館


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