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ラファエル前派のモデル アニー・ミラー

Annie Miller(1835-1925)

ロセッティによるスケッチ

チェルシーに退役軍人の父と、掃除婦の母の子として生まれる。ウィリアム・ホルマン・ハントの注目を引いたときは居酒屋の女中で、貧困状態だった。ハントにとってアニーは、理想の美人で、レディとして教育しようと考えた。ハントは、アニーと婚約し、パレスチナへの長期旅行の前に、留守中にアニーが教育を受けられるように手はずを調え、アニーが「モデルを勤めても良い画家のリスト」を作成して、渡した。

ロセッティによるスケッチ

しかし、アニーはリスト外のロセッティその他の画家のモデルとなったため、ハントはロセッティと不仲となった。アニーは別の男性と懇意になり、ハントとの婚約は解消された。トーマス・トムソン大佐と結婚し、ラファエル前派とは疎遠となった。結婚生活は幸福で、90歳まで生きた。

モデルを務めた作品

ホルマン・ハントのモデル

ウィリアム・ホルマン・ハント《朝の祈り》1866年

アニー・ミラーはラファエル前派の設立メンバーであったウィリアム・ホルマン・ハントに見出されました。恋愛関係でいざこざがあったため、ハントはアニーをモデルに描いていた《良心の目覚め》などの作品を後日、別人の顔に描き替えました。そのため、アニーを描いた油彩画は(おそらく)本作のみで、あとはラファエル前派の画家たちが共同で挿絵を描いたモクソン版『テニスン詩集』の《シャロットの乙女》と《レディ・ゴダイヴァ》のモデルがアニーであると言われています。

ウィリアム・ホルマン・ハント《シャロットの乙女》

ハントは、アニーを描いたスケッチなども多くは破棄してしまったようです。『テニスン詩集』が出版された後にハントはアニーと決裂したので、描き替えたり、削除したりできなかったのです。(出典

ジョージ・ボイスによるスケッチ

アニーがハントの意図に反して、ロセッティやジョージ・ボイスのためにポーズを取ったり、食事や公園に出かけたりしたので、ハントは怒り、「ゲイブリエル(ロセッティ)を決して許さない」と記しています。

ロセッティ《ハープ演奏家》1857年頃、個人蔵

世界一の美女

ロセッティ《トロイのヘレン》ハンブルク美術館、1863年

ハリウッド女優のような華やかさです。背景は少し古代地中海地方らしいとはいえ、タイトルを知らなければ本作がトロイのヘレンを描いたとは分かりません。つまり、トロイのヘレンであることを示唆するようなものが描かれていません。

フレデリック・サンズ《トロイのヘレン》1867年、ウォーカー美術館
モデルは別人

同じ主題のサンズの作品はロセッティが描いた4年後に描かれました。ロセッティの作品に似すぎているため、ロセッティとサンズの仲に緊張が生じました。

ロセッティ《黄色いドレスの婦人》1863年、テート・ブリテン

エリザベス・シダルはロセッティとアニーの関係に嫉妬し、ロセッティが描いたアニーのスケッチを川に投げ捨てたとも言われています。出典

待機

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モデルはミレー夫人のエフィーであるとも言われています。田舎の風景の中の若い女性を描いたのどかな一枚に見えますが、当時は女性が戸外に一人でいることは適当でないとされました。また、不安定な姿勢で座っていることから、彼女は何らかの危機的状況にあるとも考えられました。石の壁は処女性を示唆し、彼女は後ろの森の中に恋人と駆け落ちする可能性があります。思わせぶりな作品です。出典

J.E.ミレー《アニー・ミラー》個人蔵、1854年

美貌でラファエル前派内にトラブルを巻き起こしたアニーですが、本人は至って明るい、陽気な性格でした。描かれたアニーを見ると、ラファエル前派に好まれたような、「憂愁」とか「病弱」という印象がなく、明るい性格が現れているように思います。

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