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【居場所が見つかる気がしない】ゲシュタルト療法で解決する課題

【居場所が見つかる気がしない】ゲシュタルト療法で解決する課題

【自分の居場所が見つかる気がしない】という自分の根深い課題を解決するために、ゲシュタルト療法のカウンセリングを予約しました。事前準備しようと考えをまとめてみました。

なぜ:居場所が見つかる気がしないのか?

 

理由① 隣人の騒音


今、古民家シェアハウスに住んでいるのだけど、壁が薄過ぎて、隣人の生活音や会話などが筒抜けで、早朝から深夜まで騒音に悩まされてストレスが溜まりに溜まっている。

隣人に苦情を伝えても、状況は悪化している。

0時近くまでスピーカーで夜な夜な通話。
1:30にドライヤーを使用。
5時からのアラームとスヌーズ音

相手が確信犯なだけに、人間不信に拍車がかかる。

引越しを検討し始めたが、この部屋が気に入っているので、できれば引っ越したくない。

それに引っ越した先でも隣人の騒音に悩まされたら元も子もない。

ノイズキャンセリングのイアホンは高価なので購入を躊躇っていたが、背に腹は変えられないところまできているので、どれにしようか調べ始めた。

管理人に相談し、一時的に空室で寝る許可を得られたので、2週間ぶりに熟睡できた。

でも自分の部屋が気に入っているので、長期的にこのシェアハウスに快適に暮らすには、隣人と共存しなくてはならない。

しかも、自分から隣人に苦情を伝えたい旨を連絡したけれど、行き違いで既に管理人から隣人に連絡した予感。

そうなると、隣人と顔を合わせないとならないので、気まずい。

隣人はGW中、どこかに行っている様子なので、ここ数日は静かだけど、気持ちが落ち着かない。 

理由② 彼氏との信頼関係


彼氏の引越し先に「自分の居場所がなかったらどうしよう」という不安があり、日常のことが手付かずになるほど鬱になっている。

10年以上前から一時は同棲していた1DKのアパートを立ち退くことになっていて、7月一杯までに引越し先を見つける必要がある。
 
そのアパートは大通りに面していて朝から晩までうるさく、ビルが目の前に立ったので陽当たりも悪くなって、私はストレスに耐えられなくなって、去年シェアハウスに引っ越した。
 
シェアハウスは陽当たりがよくて静か。

39年の人生で初めて、落ち着くという感覚がわかった。

けれど、他人と一緒に暮らしているので、彼氏を呼ぶ際などは気を使うし、最近は隣人の生活音でストレスを感じている。
 
新居で再び同棲したい気持ちはあるが、私が情緒不安定で彼に依存して、不機嫌になって精神的に追い詰めたりするので、今はまだ別々に暮らした方がいいのかなと考えている。
 
それに私は家賃を払えていない時期がり、彼に経済的に負担をかけていたので、彼も二人分の部屋より一人分の部屋の方が気が楽だと考えている。

また私は今、働く気力がなくなってしまい、収入がないため、貯金が尽きたら、生活保護を受けたりしなくてはならなくなる可能性が高いですが、一緒に住んだら、生活保護を受給できないか、額が減り、彼に精神的だけでなく、経済的にも依存しなくてはならなくなり、それは避けたい。

最後に、私には大きな秘密があり、それも私が彼と一緒に暮らせない理由としてある。
 
なので基本的には、彼が一人で住む部屋を探すことになっている。

私が居心地がいいと考える条件(陽当たりが良くて、静かな)を何度も伝えているが、それらは彼の条件には入っていない。

彼はベランダがあって、追い焚き機能があって、5万円以内ならいいそうだけど、そのような物件はいくらでもあるので、不動産にまた適当な部屋を契約されてしまうと心配している。
 
私は彼の条件を聞くと、「自分と過ごす時間を考えていないんだな」、と卑屈になって、悲しくなり、怒ってしまう。
 
でも彼が私と一緒に暮らすことをイメージしずらい気持ちもよく分かる。

私は浮気をして、彼を傷つけた。

そ際、彼は一人で生きていくことを覚悟したそうだ。
 
私もこれ以上、彼に迷惑をかけてはいけないとも思っている。

でも、私が出家や安楽死を希望していることを伝えると寂しいと言ってみたり、一緒にいると幸せだなどと言われたりすると、彼に変な期待をしてしまう。

私とこれからも一緒にいてくれるのかな、という期待。
 

理由③ 生い立ち


私に実家みたいな場所があれば、彼にここまで依存しなくてもいいのかもしれない。

でも私に「実家」なんていう場所はない。

両親は健在なので、物理的にはあるけど、そこは私が行くような場所ではない。
 
私は両親から溺愛されながら育った。

でも同時に幼児の時から成人した後も、猥褻や体罰などを受けてきた。

物理的に豊かな暮らしをしていても、家にいて気持ちが安らいだ記憶は一度もない。

幸せな家庭像は、自分の犠牲の上で成り立っていると感じていたからだ。
 
私が大人になってから、両親に彼らの罪を問いただしたら、責任逃れをされ、手のひらを返すように私に無関心になった。

もともと偽善者っぽいなとは思っていたが、見事に的中して、私が彼らを買いかぶっていた年月がとてつもなく無意味で、自分が情けなくなる。

私は、両親の虐待が「愛情表現」だと言いくるめられてきたで、その混乱のはけ口として、年下のきょうだいに性的加害と精神的ないじめをしていたことが治療の過程で判明した。
 
きょうだいは私を許してくれたけど、私自信が自分を許せない。

自分の人格は否定してはいけないけど、言動は両親と同じような罪を犯してきた。
 
きっと、どんなに物理的に豊かな環境でも(これも大事だけれど)、心が荒んでいたら、落ち着くことなんてなんだろうという諦めの気持ちが根深い。

 

セラピーの後どう動く?

行動① 引っ越す
 
行動② 引っ越さない
 
行動③ 賃貸を探す
 
行動④ 賃貸を探さない
 
今起きている全てのことは、幼児期から始まったトラウマが原因だということは頭で分かっている。
 
そして、ゲシュタルトの祈りのように行動すればいい、ということも理解している。
 
でも不安な状況に直面すると、感情的になって、絶望的になって、何もできなくなって、時間だけが過ぎ、不安が募っていく。

行動もさることながら、どういうふうに私は日々、過ごせばいいのかが、全く分からない。

潜在意識から何らかのヒントが湧き上がるといいなと思っている。
 

まとめ

 
取り組みたい課題を事前にまとめてました。

先日、4年ぶりに3度目のゲシュタルトセラピーを受け、癒しを得ることができたのですが、今ここで直面している問題を解決することはできなかったので、再び個人カウンセリングを5月11日に予約しました。
 
次回は、私が最初と二回目のゲシュタルトセラピーを受けた際にお世話になったセラピスト。私の「今ここの問題」にド直球にメスを入れ、私が想像もしていない展開になり、潜在意識からの深い気づきが得られました。
  


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