見出し画像

母からの手紙

母の居室で1人取り残された

母を訪ねたある日、母は私のことを認識できず、私と入れ替わりに食堂へ行ってしまった。
居室に1人留まることになった私は、ベッドまわりを整頓した。

枕元にノートを見つけた。
この施設へ入る前、リハビリ入院していた母に父が届けたものである。
ノートを開くと中には細かい文字が並んでいる。
「4月11日」とある。いつの4月だろうか…そういえば母がこの施設に入居するきっかけになった入院から、もう2年が過ぎている。

申し訳ないとは思ったが、母の不安の元を少しでも理解したくて、その日記の様なものをスマホで写して帰った。

母の日記には

衝撃的なことがたくさん書いてあった。
中でも、大切にしていた愛犬を見送ったことを書いた記録には、胸を締め付けられた。

Nちゃん、立派なお寺で、あなたの兄弟やお母さんのいるお寺でお見送りしたのに。Nちゃんがいなくなってから悪いことばかり起こります。私が悪いのでしょうか。Nちゃん、あなたの幸せを祈り夕陽に向かって手を合わせています。

2年前リハビリ入院中の母の日記より


細かいところまで事実であることに驚く。Nちゃんを見送ったお寺はかつてNの妹犬である私の愛犬を送った場所でもある。


母の心に深い傷を残したNちゃんの旅立ち

Nちゃんのお見送りの場に、当時すでに認知症状があった母を立ち会わせるのは厳しいと思ったが、本人が強く希望しているとの父の言葉を信じた。

このお見送りからひと月後、母は転倒し、2つの病院を経て今の施設へ入居したことになる。

ある時母はつぶやいた

「Nちゃんがうちに来てから悪いことばかり起きた、あの子がいけなかったのかしら」

当時の私は母のこの言葉でものすごく嫌な気持ちになった。
しかし、それはNを亡くした悲しみと、心配が言わせた発言だ。
認知症以前にそもそも心配な所がある母ではあるが、シンプルに優しい人でもある。
私が愛犬を失った時には、私を勇気づけてくれてもいた。


私を救った母からの手紙を思い出す

10年ほど前私は愛犬を亡くした。
できうる限りの看護をしたが、結局は不本意な形で見送らざるをえなかった私は、悲しみと言うよりも後悔でどん底にいた。

あちこちから、どんな言葉をかけられても沈んだままだった。
しかしそんな私を救ってくれたのが母からの手紙だった。この1枚だけで私は救われた。

優しいあなたにみてもらって、〇〇ちゃんは幸せでしたね。もうそこにはいませんよ。天国に向かって元気に走っていますよ。


私を苦しめた “シジュウクニチ”


当時「49日まではそこにいるからね」と、犬の闘病のために始めたブログで繋がっているたくさんの方から、言葉をかけられたことが私にはものすごく苦しかった。

苦しんだ愛犬には、早くに天に帰って楽になって欲しいと思っていたからなおさらだった。

カトリックの親の元で育った私にとって、実は49日に対する概念がどうにも薄い。こと自分のこととなると特に。

自治体の規則に沿う為とは言え、お寺で見送ってもらいながら甚だしく自己都合だが、そこはどうしても自分勝手な私がいた。

母と私は同じように願ったはず

しかしそのモヤモヤを勢いよく上書きしてくれたのが母からの手紙だった。
「あなたは間違っていない」と励ましてくれた。

この手紙は大切にしまってある。
深い後悔に陥るたびに、実は今でもこれを出してきて見ては涙を流している。


母もNが元気に天に帰っていくところを願いながら、夕陽に向かって手を合わせていたのだろうか、あの頃どこまでがリアルな母だったのだろう。そう考えるととても切なくなった。



母が入居した頃、私はNそっくりの縫いぐるみを母に届けました。
母はそれをとても可愛がり、昨年秋くらいまでは枕のすぐ横に必ず置いていたのです。
しかし、ここ最近その縫いぐるみがベッドのどこかに転がっていることが多いです。
これも、母がもう何段か階段を昇ったなと感じる理由の1つです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?