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題目『へそまがり』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『へそまがり』。
先日も「天邪鬼」を題目にした夜がありましたが。。
  まあ。
 ほとんど意味は同じだよね。。
違うという理屈っぽい意見もあるかも知れないけど。
 厳密に違いをつけなくてはいけない言葉ではない。。


 都内でも好きな場所のひとつに。
神宮外苑のイチョウ並木があります。。
  ここの整然と並んだイチョウの木々は。
 どうやって育てたのか、と不思議になるくらい。。
幹がてっぺんまで真っ直ぐに伸びています。
 冬場の葉がすべて落ちた状態になると、それがよくわかる。。

 その木々の中に。
2,3本ですかね。。
  ある高さから幹がクネクネ曲がっているものがある。
まさに。。
 「へそ曲がり」だ。

 何が原因でそうなっているのか。
樹木の成育に関しては精通していないのでわかりませんが。。
 見る度に。
「へそ曲がり」なヤツだなあ、と考えてますよ。。


 きっと人の場合も同じように。
稀な間隔で混じっているんだろうな。。
  いわゆる、生粋の「へそ曲がり」がね。


 稀な間隔でしか存在しないってことは。
ある意味で "貴重な存在" ですな。。


 「へそ曲がり」な人は。
  "常識" を疑う。。

 "常識" という枠の内側に居る人たちからは。
"あいつは「へそ曲がり」だからな" という具合に評価される訳です。。

ところが。

 世界を変えるような革新的な事をやってのける人物というのは。
大体において。。
 "常識" という枠の内側では発想しない。

 人類の歴史を遡って眺めてみると。
大概、そうだよね。。

だから。

 社会や諸々の物事を、安定的に維持していく中では。
  単なる "変わり者" であっても。
劇的に進歩をもたらす "革新の道" にあっては。。
 「へそ曲がり」であることは、"稀代の才能" とされるのですよ。
「へそ曲がり」バンザイ。。


 歴史を変えるような "革新の道" という大げさな事ではなくても。

例えば。。

 自分の進む道について考える時なんかにも。
「へそ曲がり」って出てきます。。


 大学卒業する前、就職活動がようやく終わった頃でした。
もう、銀行から内定も頂いていて。。
  来春からは社会人として張り切ってスタートするんだ、って時。

 自分の中の最も「へそ曲がり」で。
最も "純粋な部分" が。。
 それを嫌がっていた。

 このまま進むのがいちばん良い事なんだ。
 お世話になった周囲の人々にとっても。。
もちろん、自分にとっても。

 それなのに。

 その時は "無限" とも感じられた、この先の "日常" に。
飛び込んでいく事を嫌がる自分がありました。。

 もう、ここまで来たら進むしかない。
乗ってしまったレールから飛び降りる勇気なんて湧いてこない。。
  そして。
 ここでこうして迷っていても。。
誰も助けには来てくれないことはわかっている。。
  さらに。
 もう。。
時間はない。


 いやあ。
その時はその時で、苦しみましたね。。
  かなりの『へそまがり』でした。



『へそまがり』な自分に気がついたとしたら。
  その声を。。

 無視するわけではなく、一旦じっくりと飲み込んでみよう。

  もしかすると、その声が。

いずれ。


考えてもみなかった未来へと。
  導いて行ってくれる "自身の本当の声" かも知れませんぞ(ニヤリ)。。。
        



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。


いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。