美しいから

月光に削がれ削がれていつの日かいなくなるときわたしはきれい/佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』

この「わたし」がいなくなる時、空間には月光が削り続けた「わたし」の輪郭が、三次元的な意味を大切にするなら「わたし」の型に空洞が残ります。不在の「わたし」に対して美しさがあるというのは、その空洞に対する賛辞だとして読みました。第一歌集に

うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない/佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』

という歌がありますが、ここで兄に向けられていた眼差しが、今度は第三者のような視点から「わたし」に向けられているのでは。鬼頭莫宏の漫画『ぼくらの』における登場人物・町洋子の

「空間にはさ、かつて存在していたモノの履歴が刻まれてるんだってさ。」

という台詞。肉体を奪いきったのちの月光の痕跡。魂のある人体は不可逆的である点もリンクしているかもしれません。決して戻らなくなったモノが、美しい履歴として残り続けるという素晴らしい空想(いえ、実体験?)を読ませられたら、思い出だけでお腹はいっぱいにならなくても、その涼やかな空虚を抱いて、そして己が削がれて消える一瞬の予感を夢想して生きていけるのではないでしょうか、などと思いました。

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