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18 外と内

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


脳外が脳内と同一質量であることが、「普通の生活」なのだろう。
何を見ても驚かない。すでにお馴染みの光景だから。
その驚かなさが、安心、平和。
もちろん、日々脳外に微量のニューはある。
しかしそれは、取り込まれるべき脳の餌。
 
旅行に行くと、外は初めましてのニューしかない。
五感の情報量が多すぎて、脳は更なる情報流入を阻止すべく、シャットダウン(早めの就寝)。
 
遠くに見える厳島神社の全景を目から脳内に入れると、その圧縮情報は還元され、中で元の大きさに戻る。
するともう、目から出せない。
赤い鳥居は「中」の海に仁王立ちし、脳宇宙を守り始める。
観光客が落ち着くのは、外全部が内在化されたときである。
そうなったら、もうカメラを掲げない。
次の場所に移動する、タイミング。
 
勉強とは、たとえば外の百年を、一日で内在化させることである。
すると「中」に、鎌倉幕府ができる。
脳内関ケ原では、一秒で勝敗が決まる。
この情報処理がゆるいと、ナポレオンが清少納言と結婚してしまう。
アインシュタインが箱根駅伝のタスキを渡す。
ナイチンゲールが独裁者として君臨する。
ファーブルがジュラシックパークの園長に就任。
そうじゃないという調整、それが勉強なのだろう。
 
「擦り合わせ」とは、脳外と脳内の、同期。
脳外の事実としては、そんなに楽しい遠足ではなかった。
でも、前夜眠れないほど期待した遠足が楽しくないのはコスパが悪いから、期待通りに事実が修正されるのだ。
そうしないと外と内が釣り合わず、現実か夢のどちらかが潰れてしまう。
 
人は、脳外と脳内の気圧を同一にするために生きている。
そのためには、外のニューを即取り込まねばならない。
だからニュースに無関心ではいられない。流行も知らずにはいられない。
 
熱帯雨林に自生している唇形の植物サイコトリア・エラータは、絶滅に瀕している。
スエコザサは、植物学者・牧野富太郎の愛妻の名がつけられた笹。
そうして取り込まれたサイコトリア・エラータは、脳内のスエコザサの隣りに根を張る。
すると富太郎と寿衛子がキスをして、スエコはサイコトリア・エラータを産み続ける。
 
「人は見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞かない」というのは、それぞれの脳内に必要なものが決まっているから。
脳内がカレーを作ろうとしている場合、その人はスパイス採集家にならざるをえない。
脳内が海苔屋の場合、その人はなぜか海に引きつけられ、海藻ばかり手にする。
脳内が鬼の国の場合、なぜか節分に追いかけ回され、挙句「鬼わー、外!」と老若男女から豆をぶつけられる。
 
脳内世界が完成に近づくと、その人のまばたきはゆっくりになる。
もう、何も足さなくていい、と脳外が完全に脳内移住を遂げた瞬間、我々は目のシャッターを下ろす。
外の人がどんなにそのシャッターを叩いても、中の人はすでに、永遠の眠りについている。


絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)、絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』『ジッタとゼンスケふたりたび』『クックククックレストラン』(いずれも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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