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今、本当に楽しんでる?

継続は力なり。

今は実力不足であっても挫けず続けていれば、いつかきっと大成できる、いう意味だ。

なにか成果を出したい、力をつけたい、成功を成し遂げたい、そう思っていても、願うだけでは叶わない。

継続しなくてはならないのだ。

とはいえ、一口に「続けることが大事なんだ!」とはいっても、それは単なる"バカノヒトツオボエ"なるものに等しい。

そう、「続ける」という1つの動作においても、そこに至るまでのプロセス、そして動機がある。

「続ける」を支える"何か"があるのだ。

私はその一つに、"楽しむ心"があると思う。

なぜ私が文章を書くことを長期的に続けていることができているのか。

楽しいからだ。誰か特定の人に発信しているわけでもなく、誰に読まれるわけでもない。自分の頭の中を書くこと自体がワクワクするのだ。

はたまた、なぜYouTuberは長年の間、YouTube上に動画を投稿し続けているのだろう。

楽しいからだ。彼らは、昔から変わらない少年のまま、若き心をなくしてはいない。彼らなりの楽しさをもっているように感じる。今から5,6年前、YouTubeは世間から軽視されていて、YouTuberなどという職業はもちろん存在していなかった。テレビの著名人らは彼らYouTuberを煙たがり、テレビに出ることに対する嫌悪感を露骨に出していた。それは当時小学生だった私の目にも明らかなほどに。しかし彼らはYouTubeがまだメジャーとは言えない状況下から今日に至るまで、世間の風当たりに屈することなく動画投稿を続けてきたのだ。動画というものを誰よりも楽しんでいるのであろう。

なぜ、なぜ、とあらゆる「継続」を辿ってみると根本にはいつも"楽しむ心"があったのだ。

心は目に見えない。形而上的であるから、それが真実か否か、分からなくても私はそう信じている。

さて、逆を考えてみる。

続けられない原因は楽しめなくなってしまったことにある、と考える。

日々のストレッチ、朝の学習、時には娯楽だって自分より上手にいる人を目前にしたら純粋に楽しめなくなってしまうことがある。

初めは楽しいと思って続けてたことがある時、或いはだんだんと、楽しいと思わなくなっていってやめてしまうのだ。

それでは最初に戻ろう。

継続は力なり

成果を得るためには続ける方が必須。

継続するためには"楽しむ心"が必須。

そしたら、どうやったら"楽しむ心"を持つことができるの?

残念ながら、私には分からない。

いや、知っている。

それは自然に生じるものだ。考えてどうにかなるものではない。

心を操作することはできない。できたら誰も苦労はしないはずだ。心を自分の思い通りに動かすことが出来るようになった暁にはこの世の全ての辞書から「苦悶」という言葉は消えるだろう。それくらい、天変地異な話であり、"楽しむ心"というものは自然に発生するほかない。

私たちは自分の心を放出して、気の赴くままにその場その時で心を感じとるしかないのだ。と、思う。

頑張るのもいいけど、時には自分の心に従ってそれをやめたり、本能のままに生きたりすることも悪くはないだろう。

まとまらなくなってしまったけど、ここまでにしようっと!

これも自由!

おやすみ!




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