見出し画像

宝瓶宮で何が起こっていたのか? カミュ本人が語らない「真意」を妄想する

「聖闘士星矢」を読み直して気づいたのは、アクエリアスのカミュの言動の真意は周りの人が後から解釈するものばかりで、ご本人はほとんど何も言ってないな、ということだった。本人の言葉・モノローグからは「氷河が大事」ということしか伝わってこない。
 
「氷河…わたしはな…いや…もはやなにもいうまい」(JC⑪ p115)
私はここがすごく好きである。作中で最もカミュらしいセリフはこれではないだろうか。
 
カミュは決して無口キャラではない。宝瓶宮では途中から氷河はほぼ無意識状態のだんまりで、ただただカミュが説明したり驚いたりうろたえたり褒めたりして一人でしゃべりたおしている。本当にかわいいよな。
 
とにかく、カミュは寡黙なわけではない。肝心なことを言わないだけで。
 
※以下、ネタバレが前提の、あくまで個人的感想・妄想です。妥当性を主張するつもりも、他の解釈を否定する狙いもありません。お互い、自分の解釈や思いを大事にしていきましょう。ページ数は単行本(ジャンプコミックス、以下JC)準拠。
 ※5700字以上あります。
 

常に周囲から解釈されるカミュ

天秤宮においてカミュは氷河をフリージングコフィンに閉じ込める。これは氷河を死なせたくなかったからだ、氷河を仮死状態にしておいて現在の戦いから守り、いつか甦る可能性を残したのだ、とミロは言う。しかしこれはあくまでミロの解釈でしかない気がしてならないのは私だけだろうか。
 
コフィンを前にカミュが「ゆるせ氷河」と言ったとき、彼は氷河のことはこれで終わり、と思ったはずだ。ジャンプ本誌では、「おまえをほうむるつもりはなかったが」というセリフがあり、素直に受け取るなら、カミュはきちんと氷河を殺しおおせたつもりでいたはずだ。
 
カミュが自分では意識できなかった抑圧した本音をミロが代弁してくれた、と取ることもできるが、むしろカミュは「そういうつもりも…実はあった…のか?」くらいにミロの解釈を聞いて思っていたかもしれない。このへんの想像の余地がたっぷりあるのが、カミュというキャラクターの素晴らしいところである。
 
氷河もまたカミュの「真意」を解釈して説明する。二人がほぼ相討ち状態となって倒れているページがそうだ。  
いわく、わが師カミュは命をかけて自分を絶対零度まで導いてくれた。最後まで自分の立場を貫いてクールに徹して戦えと教えてくれた…
 
ところが、ジャンプ本誌を見ると、氷河のこの解釈は当初ほとんど存在していないのだ。
JC⑪p.166の2コマめ「そしてそれ以上に…」、3コマ目、「どちらが正しいのか!?…」以下の長大なモノローグは、なんと連載時には影も形もなかった。
 
ちなみに、ミロが氷河と本気で戦うことに決めたシーンのミロ→カミュの小宇宙通信(JCでは⑪p19)でも、ジャンプ本誌ではカミュ側の内容はゼロに等しく、「氷河…」と凛々しいお顔で思いを馳せるだけ。ミロはアウトオブ眼中のご様子である。「よいなカミュ!!」ってめっちゃ念押ししてくれてるのに。
 
こうしたことから、車田の御大も連載時にはカミュが何を考えているのかつかみきれないまま描いていた可能性が高い、と私は睨んでいる。
 

自己完結型のカミュ

「氷河…わたしはな…いや…もはやなにもいうまい」っていうとこがめっちゃカミュっぽい、という話をした。実はここ、ジャンプでは「わたしはな…」ではなく、「なぜ…」と言っている。
「本当は死んでほしくなかったから氷の棺に入れたのに、なぜ蘇ってきた」という内容が想像できる。しかしJCはわざわざ「氷河…わたしはな…」に変更していて、セリフの方向性が違う。わが師よ、あなたは何を考えてらしたのですか? と問いたくなる。頼む、言いかけたなら最後まで言ってくれ。しかし我らが師カミュは気持ちを語らない。彼は誰かに自分をわかってもらいたいと思わない、自己完結型のキャラクターのようだ。
 
これはハーデス編で朝日のもと消え去るときにも見られる。十二宮編では、「今は何を言っても仕方がない、戦うしかない」という意味の「なにもいうまい」だろうが、ハーデス編では駆け寄ってくる氷河に対してもうほぼ何も言葉をかけない。何か言い残そうとすれば、口がきけない(「味覚」をやられてるからな…)なんてことは彼にとって障害でもなんでもなく、小宇宙通信ができたはずだ。シュラやサガはそうしている。それをあえてしなかったのは、自分はこれで満足だから、後悔は何もないから、言葉は必要なかった…ということ…あえていえば、「氷河…」だけで、おまえが来てくれてうれしい、を伝えているんですよね…あうう
 

カミュの正義?

話を天秤宮に戻す。フリージングコフィンである。
「これ以上進んだら絶対ほかの黄金聖闘士に惨殺されるからそれくらいなら自分が殺す(そして永久保存する)」はヤンデレがすぎる。ほぼ一家心中の論理だ。それよりも、「自分の弟子の始末は自分がつける」、の方がよっぽどわかる。自分が育てた聖闘士が聖域に反逆してきた構図なのだから。
 
たぶんカミュは氷河がサンクチュアリに乗り込んできたことに対して怒ったりはしていない。(そもそも、「聖域に来い」とメッセージを残したのはカミュである。これも幾通りか解釈が可能だがここでは割愛する。)
「おまえは間違っている」とか「騙されている」とかも言わないのは、氷河が間違っていると思っていないからなのではないだろうか。
 
他の黄金聖闘士とカミュが決定的に違うのは、「教皇が正義かどうか」について何も言及していない点である。確かに、カミュは教皇の命令に従って氷河を青銅聖闘士の抹殺に派遣しているし、「十二宮を守る聖闘士」としての役割を果たそうとしているように見える。しかし「氷河よ…おまえは死すとも進むのだろう…女神のために」(JC⑪p19)(←ジャンプ本誌にはなく、JCで追加のセリフ。作者及び編集のミスかもしれないが、わざわざあとから加筆しているんだよなあ)と言っているのをそのまま受け取ると、「城戸沙織=アテナ」を認めていることになる。
また、一緒にやってきた星矢と瞬のことはそのまんま無傷で通しており、「教皇側」であれば絶対にありえない。勤務態度が悪すぎる。
おそらく、カミュにとって教皇のことはもはやどうでもよかったのだろう。アテナのこともどうでもよかった可能性がある。氷河のことしか見ていない。黄金聖闘士のくせに、とんでもない困ったちゃんである。
 
なので、これは氷河の正義とカミュの正義がぶつかりあった、という話ではなさそうだ。氷河には彼の正義があったが、カミュには愛しかなかった。氷河がコフィンから出てきて自分の前に再び立ったときに、選択肢は2つしかなかった。氷河を殺すか、自分以上の力を持たせて送り出すか。
 

支配/被支配関係の打破

「~したのもわたし、~したのもわたし…」
氷河の人生と自分の深い結びつきを1ページしっかり使って独白してくれるシーンは印象的。これ要約すると「わたしの氷河」ってことだよね? おまえの人生はわたしが決めてきた。そういうことでしょ?
 
それまで、氷河はカミュがどうにでもできる存在だった。星矢たちの抹殺に向かわせ、マーマを海溝の底に沈め、ついには氷の棺に閉じ込める。氷の世界の王者であるカミュは指導者・庇護者・支配者として氷河の上に立ってきた。この支配/被支配関係は氷河の側から破る以外ない。その力がなければ、カミュと対等になる資格はないのだ。
 
聖闘士の社会は完璧なヒエラルキーをなしている。カミュは黄金聖闘士、十二宮を守る最高峰の聖闘士だ。青銅の氷河より自分が上でなければならない。一方で、師匠としては、弟子に自分を超えてほしい、自らも到達できなかった高みに達してほしいという思いがあった。
 

師・カミュの人生総決算

8歳の氷河が東シベリアに来る前、カミュは失敗し続けていた。弟子の育成に。彼自身は間違いなく天才でエリートなので、弟子たちがなぜ自分と同じようにできないのかわからなかっただろう。学業優秀な人間が教師になると、できない生徒の気持ちがわからなくてろくなことにならない、みたいなものである。何人も逃げ出して、ああうまくいかない、と14歳の少年カミュは嘆いていただろう。そこへやってきて、ついに最後の弟子となり、最初の聖闘士となった氷河に特別な思い入れがないわけがない。
 
氷河はカミュがまともに育てられた唯一の弟子である。アイデンティティの一部と化していてもおかしくない。意に反して氷河をコフィンに閉じ込めることになったとき、カミュは涙するが、あれは自分の一部を葬ることの悲しみだったかもしれない。(氷河ももちろんカミュに重めの敬愛を抱いており、案外これは一種の共依存関係なのかも)

しかし氷河は師の予想を超えて、コフィンから出てきてしまった。さらにはミロも他人なもんだから無責任に通してしまった。氷河があそこでそのまま死ぬ男でなかったことは、カミュをがっかりさせなかっただろう。むしろ喜ばせたかもしれない。しかし氷河をもう一段階引き上げるために(それはもはや十二宮戦ではなく、聖戦も考えてのことだろう)、最後の試練が必要だった。絶対零度へ。自分はついに到達しなかった高みへ。そこまで彼を引き上げるには、カミュも命をかけるしかなかった。自分の命を代償に、氷河に未来を生き抜く力を与える。

「俺の屍を超えて行け」を地で行く

宝瓶宮戦のセリフは9割がたカミュのものなのだが、彼はしつこいくらいに、まるで呪をかけるように、氷河おまえを殺す、おまえにはできない、おまえの負けだ、と繰り返す。少年漫画らしいお約束の「フリ」ではあるのだが、実はカミュが自身に言い聞かせているようにも思われる。
 
聖闘士の修行は命がけ。死ぬギリギリに追い込んでなんぼの世界である。ましてや青銅とはいえ聖闘士となった氷河、本気で生死の境まで追い込まないとさらなる高みに到達させることはできない。カミュはちょっと気を抜くとすぐ氷河を助けてしまうので「絶対に殺す!!」と自分を鼓舞したのかな、と思うといじらしくて泣けてくる。
 
必死になって氷河を殺しにかかってるのだが、ちょっとした隙に「殺したくない」の本音が出てくる。「しかし残念だがそれでもわたしをたおすことにはならんのだ」…って残念なのかい! やはり氷河が自分を超える=自分を倒して先に進む、ことをどこかで期待しているのだ。
 
シベリアでの修業回想から「目をさませ氷河!!」につながるシーンは「聖闘士星矢」屈指の名場面。アニメではカミュは直接の師匠ではない(!!なんてこった)ので、「(氷河が死んでも)仕方がない、それがおまえの運命ならば…」的なことをクールに言っているのだが、原作では目も当てられないくらいのうろたえよう。クールは雲散霧消している。作中で一番大声を出しているのは間違いなくここ。「氷河 目をさましてよけろー!!」
ああっわが師なんて愛しいんだろう…

このあとに、いかにも「気を取り直して」みたいな感じで「さあ 今度こそ確実にほうむってやるぞ!!」とか言うくだりも含めて愛しすぎる。
「さあ」じゃねんだわ。
 

カミュが目指した理想の決着とは?

氷河に究極の凍気・絶対零度を会得させるために自らを犠牲にした、という解釈は十分理解できる。あのギルティも一輝に対して同じことをしているのだ。
しかし待ってほしい。弟子が一人前になったら自分は死んでもいいのか!? あんたも聖戦に必要な一人だろうが! なにを勝手にフェードアウトしてんねん!!(落ち着け)
 
黄金聖闘士の存在意義は聖戦でアテナのために戦うこと、のはずである。ムウはまるでそれが黄金聖闘士の常識であるかのように語る。しかし、カミュは自分が聖戦に必要なアテナの聖闘士であるという自覚を持っていたのか? 
なんか、あんまし考えてなかった気がするのだが……

もしその自覚があったとしたら、カミュが目指した理想の決着は、氷河が絶対零度に到達し、なおかつ自分もなんとか生き残る、だったかもしれない。だがそれはできなかった。
 
カミュは「ゆるせ氷河」と2度言う。1度目は天秤宮でコフィンに氷河を閉じ込めたとき。2度目は自分が死ぬとき。1度目は「おまえを殺してしまってすまない」。2度目は「生き延びておまえをこれからサポートしてやることができなくてすまない」という風に聞こえる。
 

氷の聖闘士の完璧主義

カミュは氷河に詫びながら死ぬが、そのわりに満足げな顔をしている。
 
カミュは完璧主義者なのではないか。
そもそも原子を砕くのではなく、原子の動きを止める「氷の闘技」の使い手は、その性質上、完璧を志向せずにはいられない。火力は高めようとすればおそらくいくらでも高められるだろうが、凍らせる方向は「絶対零度」の言葉が示す通り、限界がある。マイナス273.15℃。氷の聖闘士はこの厳密な数字で表される限界値を目指さずにはいられない。カミュが炎の使い手であれば、話は違っただろう。「氷の魔術師」であったがゆえに、完璧=絶対零度に囚われていた。
 
他人のお部屋にどでかい氷の棺を置いてきてしまうことからも、人からどう思われるかを全然気にしない性格が伺える。言葉で自分の真意を説明して他人にわかってもらおうとしないのもそういうことだ。一方で自分には完璧を求めるタイプで、他人の目ではなく自分が自分をどうとらえるか、を重視する人なのだろう。
 
もしかしてカミュはずっと、負い目を感じていたのではないだろうか。黄金聖闘士としては、絶対零度に到達しない自分。そして師匠としては、弟子の育成に失敗した自分。
カミュはどこかで自分を許せないでいた。唯ひとり聖闘士となった氷河を自分の手で殺した、と思った瞬間の涙には、そういう意味もあったかもしれない。だとすると、氷河は生きて再びカミュの前に立つことで、彼の心を救ったのだ。そして、自らが「絶対零度」の凍気を身に着けることで、師の欠けを埋めたのだ。
 
凍りついて倒れたカミュが笑みを浮かべているのは、ついに自分が完璧な氷の聖闘士を生み出した、という思いからなのかもしれない。

この記事が参加している募集

マンガ感想文

今こそ読みたい神マンガ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?