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見えない世界や前世療法に興味を持つきっかけ

風の時代から新しい年が始まり、生まれ変わったという感じがするという人が多い。

世の中が混沌としていても、常にリラックスしている状態をつくることは大事だな。

スピリチュアルが流行りだした頃、待ってましたーと感じた人、怪しい世界と感じた人、新しい宗教?と感じた人達様々だったかと思う。

私は見えない世界や精神性の話は慎重に!とずっと感じていた。

何故なら自分の中で確実性がなく、見えてもおぼろげな体験は信憑性がなく、確信がなかった。

それが自分の人生にとって何の意味があるのか?と疑問に感じていた。

常に、何で?こうなのか?、と意味や理由を探す性質が強かったと思う。

小さい頃は、末っ子で兄弟に否定される事が多かったので、本当に感じる事は兄弟にも親にも殆ど話さないできた。

子供の頃から大人になってからも、不思議体験があったが、それがなんなのかは明確に自分では整理出来なかった。

絶対的な確実性を求め確かなものでないと納得しない自分、それを確かめる為に、本で探すしかなかった。

当時は未来を当てる人、何か見える人は特殊な能力の持ち主であって、凡人には分からない世界なんだ、という風習があった。

昔はそう言った人達は一目置かれていたようにも思う。

しかし、その反面オカルトチックに思われ、その能力で良からぬ方向の金儲けに走ってしまったり、変な宗教なのでは?と、眉をひそめられたり、

見えない世界は良くも悪くも、いつの時代も怪訝に思われていた。

私の母は臨死体験をし、昔から虫の知らせを感じ易い人でもあった。

しかし、今は亡き父は不思議な体験をしても、そう言った事は全く信じない人だった。

多分不思議な体験は誰でもしてると思うが、物理的以外なものは自然にスルーしてるのだ。

亡き兄が子供の頃からの霊的体験をしていた事を聞かされたのは小学5年生の時だった。

その時、兄から伝染したのか初めて金縛りという体験をした。

大人になっても長い間それは続き、幻覚や幻聴、幽体離脱的体験もするようになっていった。

自分の勘違いや単なる夢だと思い、誰にも話す気はなかった。

初めての金縛りはそれは恐ろしく、嫌な体験だった。

金縛りは体が疲れているとなり易く、科学的に証明され、霊的現象ではない!と否定する人もいた。

体が疲れてるとなり易いことは体験してるので知っていたが、霊的なものは体感が違うので、体験してない人に話しても理解されない。

当時はよく分からなかったが、今はそれがどんな意味をなしていたかというのが、本や人から聞いたりしだんだん分かってきた。

この現象、霊的な体験や幽体離脱などは肉体的3次元から離れ4次元を体験しているのか?

次元の話はよく把握していないが、

3次元が肉体世界だとして、4次元は幽界(肉体を離れたばかりの世界)、5次元は霊界とすれば、3次元から4次元に移行した状態なのか。

憑依とか、地縛霊とかいう、名前からしてなんともおどろおどろしい言い方だが、単なる次元が4次元に変わっただけで、その次元を体験しているという事なのか?

幽霊が見える、と言うのも次元が違う世界に焦点が繋がった状態なのだろうか。

だから、怖いものではなく、自分の波動に寄って、見えたりするだけの事なのか。

その頃の私の体験は徐々にいろいろアレンジし始めていた。

金縛りに合うと、沢山の人達がお喋りしてたり、大笑いしてたり、人の気配を感じ、私が目を閉じてるのをいい事に、枕元に立ってる気配があったり、お婆さんが数珠を持って拝みにきたり。

酷い時には書物を読むと、眩しい光を感じ、私の顔の周りを、ぐるぐると何かの存在が回っていたりなど、数々の体験をした。

ある事件との共時体験を味わったこともあった。

とにかくあまりいい感じの体験とは思えなかったので、私がそんな変なものを引き寄せるのは、ネガティヴな事ばかり考えてしまうからではないかと思った。

霊媒体質だと言われた時、あーそうなんだ、と好奇心はあるが厄介だな、と思った。

霊的体験の本を探してた10代の時に読んだある本に、”霊は肉体を乗っ取ろうとし、乗っ取られた人は人格が変わってしまう”と書いてあり、

恐ろしくて金縛りにかかる度必死になって解がなければ💦といつも焦る。

あとからエンパスと言われた時、エンパスは人の感情だけでなく、4次元からも憑依され易い体質の人もいるのではないかと自分なりに解釈してみた。

時々同じような金縛りの体験をする人達に出くわすと、不思議体験を自慢大会の感じになった。

人は知らない世界を知っている、そんな優越感を感じるものだったりする。

それは単なる次元の変化を体験しただけで、あまりいい感覚でなかった自分は、低次元の感覚に陥った自分は暗い人間なのだーと、恥ずかしい気持ちになったりもした。

しかし私はその現象をどうしても分析したがる性格だった。

けれどその体験を認められない自分もいたし、解明してくれる人が現れず、一体なんなのかを確かめる為、本を探しつづけた。

そして長い間、もっと体験豊富な視野と器が広い、愛情深さと人生の意味を知っている人に出会わなければならない、とずっと思っていた。

あとあと、人間は肉体を被った魂の存在であり、もともと誰でも次元を変化することができるのは普通のことで、

なんらかの理由で地球に5次元から3次元に次元を落としてやってきた話や、4次元3次元を行ったり来たりする輪廻転生の理由や、

地球には宇宙からやってきた沢山の生命体の種族が地球に訪れているのだ、ということが分かってきた。

しかし、それを理解するには、人から聞いただけでなく、体験しないと知らな世界ばかりだ。

現実を楽しいとは感じられなかったせいもあり、人生の意味、何故自分は存在しているのかなど、若い時からそんな事ばかり考えていた。

あの世や前世の話、この世で出会う人達は何か意味があるのかなど。

ある時ブライアンLワイス博士の前世療法の本を初めて手にした時、衝撃を受けた。

懐かしいというような、待ってましたー、という気持ちだった。

この先生に会いにアメリカに行きたい、自分の人生を解明したいと切望した。

時折やってくる何かを切望する苦悩が、常に何かを追求し、私を刺激し、必ずその先には出会いに導かれるのだった。

ある時誤診体験が続き、医療に対し懐疑的な思いが拭えなかった。

そして、医療というものに違和感を感じ、何故人間は病気があるのだ?

この世界は完璧ではなかったのか?と常に疑問を投げかけた。

ある時は乳癌検診が引っかかり、検査検査ばかりで、もし癌の場合切るのか?と医者に聞いたら「そうだ」と言われた。

これはストレスから来てる事を分かっていて、当時は職場での人間関係や理不尽な出来事に鬱積していた。

友人の紹介で、気功からヒーリング系のカウンセリングを受け、これは精神から来ている事だけど、病院でもしっかり見てもらった方が良いと言われた。

その後セカンドオピニオンで病院を変え再検査をし、結局身体は何でもなかった。

それから10年以上検診は行かなくなり、体の心配事は医者ではなく自分に頼るようになった。

気功やカウンセリングで言われた事は、自分で自分を虐めていた事、迫害にあった前世と言われた時、あーそうだろうな〜と自分が納得したからだ。

例え医者がどんなに研究をしてきた頭の良さでも、正しい人とは限らないと感じ始めてきた。

しかし数々病院での疑惑体験は、自然治癒力に目覚めさせ、より人を知る為の身体施術系を学ぶきっかけにもなった。

シンクロの流れに身を任せているように、次々にいろんな出来事や出会いの中で、自分の前世と言われるネイティブアメリカンのセドナに行くこととなり、それから古い観念を捨て、新しいものをどんどん引き寄せるようになっていった。