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本の紹介「生きづらいでしたか?」

皆様おはようございます
本日もは軽くジョギングしてきましたが
右のふくらはぎがおかしな感じになったので途中からウォーキングにきりかえてきました。寒かったからもっと気を付けてアップしとくべきでしたかね。まぁでもいま仕事してないんで問題ナッシングです。

ただ仕事してないとなんか不安感が増したり、マイナス思考に陥りやすくなるのも困りますよね。

そこで本日は「生きづらいでしたか?」細川貂々を読んでいきたいと思います。

「生きづらいでしたか?」

最初本のタイトルに見たときに、あれ?ミス?かと思って二度見してしまいました。なんか日本語おかしくない?って思って。

で気になって、さっとめくってみると「ツレが鬱になりまして」の作家さんや( ゚Д゚)と思って買ってみました。自分もメンタル強くないので…

するといきなりの告白
なんか生きづらいと思ってここまで生きてきました
大人になったら変わるのかな?時題していたけどやっぱりなんか生きにくい
と思って過ごしてます。

すごいですよねなんかポジティブさこそ正しいと思わせるようなものであふれて言うこの時代に真正面からこの告白。できます?

そしてそこからそれを自分だけのものではなく

「生きづらさ」ってみんな持っているんじゃないか
それを知りたいと切り替えられるって

自分の弱さを告白する勇気が僕にはありません
だけど隠す気もありません。
なのでいまも一人で生きてます。

何もできない子

わたしは子供のころからずっと自分のことを後ろ向きな性格だと思ってました。おまけになにをしても続かない。人と同じことができない。

親からもそう言われその通りになにもできない子になった。
そして親からのことば
ネガティブな自分を演出していきることが人生を上手に生きる秘訣
その通りに

永遠に続く負のループ

  • 落ち込む

  • 落ち込む自分がいや

  • 落ち込む

  • つらいから文句を言う

  • 嫌われる

  • 落ち込む(最初に戻る)

でもそんな自分が嫌で大嫌い
僕も自分が大嫌いです

ネガティブな自分を認められない

SNSでつらい気持ちを書いてみたり、精神科に行ってみたり
そこで精神科医から
それはお母さんのネガティブ教育のせいだからあたりまえだと
もともとの性格だと思ってるけどそうじゃないと

いちいち えっ(゚Д゚;)?
てなっちゃうの痛いほどわかります。

自分はそうやって育てられてきたんだから
いま、こういう風になってるのはあたりまえのことなんだって
「それでいいんだ」って認められるようになってください
そしたら前に進めるようになります。…と

なかなか難しいですよね(・_・;)
そこで決意し自分なりに自分を認める練習をするところが偉い

するとそこでまた新しい出会いが
ひとって出会うべき時に出会うべき人と出会うもんですよね。
そこで出会った当事者研究

なんだそれ?はじめて聞いたという人も多いですよね。
僕もです。

当事者研究とは…困りごとなどを抱えた人、本人が仲間と一緒にその苦労のメカニズムや意味を考える

で会に出てみると
みんな人から見たら何でもないようなことで真剣に悩んでると知ります
自分だけじゃないんだ
そして帰り際
そういう貂々さんのネガティブ大事にしてくださいね
えっ(゚Д゚;)
わたしはこのままでもいいの?

そこから本を書いてみるというお話

そこで話を聞くだけで穏やかな気持ちを取り戻し前向きになって帰ってくる

ネガティブ思考がわからない人もいる

自分を嫌いと思ったり生きづらいと感じるのはなぜか?
このままでいいとは思えないのはなぜなんだろう。
当事者研究を調べればもっと生きづらさとうまくつきあうことができるかも

そして当事者研究を知るために北海道へ
行動力がすごい

「べてるの家」


理念
三度の飯よりミーティング
 ミーティングは問題を出し合う場ではなくお互いを理解し励ましあう場
弱さの情報公開
 自分の調子が悪いときに助けてほしいと伝えるために弱さを公開します
 自分の弱いところはどんなところか
 その弱さをどうやって人に伝えるかを考えたり練習するために

苦労をみんなで語りあう

どんな問題やトラブルでもそのひとつひとつは大事な経験の一部なので簡単に取り去ろうとしない。
誰でも自分の苦労の経験をちゃんとあじわう権利がある。
ちゃんと人と人がぶつかり合う経験を邪魔しないで見守る
そうすることで
長い目で見ると確実に場は変わるし育つ

それぞれが生きやすい環境をつくっていく
やりすぎても放置してもあれる

すべての生き物は生きるために常に現実にぶつかって試行錯誤している
苦労して考えることで自発的に発見できる力を持てる

みんなそれを前提に生きてるはずなのに

人間だけがああしなきゃ、こうしなきゃって枠をはめて生きている
枠にはまると動けなくなるので考えることをやめてしまう

そうならないために話し合いが大事
人と話し合うことこそ回復の一つのベース

当事者研究は人と人が語り合うことで
人間本来が持ってる「自分で考えながら発見していく力」を取り戻していくもの

べてるの当事者研究の理念

  1. 「弱さの」情報公開

  2. 自分自身で、ともに

  3. 経験は宝

  4. 病気は直すよりも活かせ

  5. 笑う力ーユーモアの大切さ

  6. いつでも、どこでも、いつまでも

  7. 自分の苦労をみんなの苦労に(苦労のシェアリング)

  8. 前向きな無力

  9. 「見つめる」から「眺める」へ

  10. 言葉を変える,振る舞いを変える

  11. 研究は頭でしない、身体でする

  12. 自分を助ける、仲間を助ける

  13. 初心対等

  14. 主観、反転、"非”常識

  15. 「人」と「こと(問題)」をわける

人間はみんな同じようなものを見て、同じように感じているかのように暗黙のうちにいきているけど、本当はひとりひとりが違う感じ方をしているのに同じだと思い込んでしまう。だから人間はぶつかる
ひとの感じ方はバラバラなもの。
自分の弱さも人の弱さも大事にしていく

苦労もする
つらいこともある
人間って、みじめだしどうしようもない
そういうことを受け入れていくことが
本来の自己肯定感

ひとにはそれぞれかたちがある
その人なりに生きやすかたちがある
世間一般で「よい」とされるいきやすいかたちとは違っても

じゃないほうで生きていると、ちゃんとスイッチがはいって引き戻そうとする
それが重くなると病気になる

経験は宝

お前はだめだ。あの人はダメだ。
そういう経験は僕の中にも居座っている。

でも人間というのは生き物だから
たくさんいろんな経験をすると
そのなかから必要なものを自分で選択できるようになる
お前はダメだとつらい記憶がよみがえったとしても
たくさん経験をすることで仲間に自分の経験をつたえてみようというせんたくができる。

どんな経験も大事
たくさん経験しよう

笑う力

僕に一番足りないモノ
関西人に生まれてきたのにセンスが致命的にない

「見つめるか」ら「眺める」

ちゃんと自分を見つめなさい?

内省っていうのは
心の奥底に抑圧されて隠しているものをちゃんと見つめることで自分が回復してくるという発想

でも必要があって隠しているから病気の人はタブー

目の前に出して「眺める」からできる
ひとりではなく、みんなで眺めれば

主観、反転、”非”常識

常識を反転させることで
その人自身のありのままを尊重し理解しようとする

人とことを分ける

たとえばあの人苦手だけど嫌いじゃない
めんどくさいけど、いいやつだみたいな
めんどくさい部分(こと)についてはちゃんと言える

人とことをわけることで
ことにたいして素直なコメントが言える

川村敏明 精神科医

患者さんからいろんな可能性をうばわない
患者さんも悩んで友達とシェアして
共に生きることの手ごたえを感じないと
自分たちの問題をちゃんと自分の言葉で語れる力を持つことが大事

せっかく生きてきたのだから
その人にふさわしい役割があるはず
病気の人は病気を通して
何か役割を果たしているんじゃないか?って思う。

本当の自分を隠さず
自分のことを 
自分の言葉で語れるようになりたい

当事者研究、どうやるの?

「NPOそーね」

出会いがあって この場所があって 何をするか?
ただその場にいられる

そのまんまで生きている

私も作りたい

…だから失敗する
がんばってその人を
救ってあげればあげるほどその人は自立できなくなる
なにもしちゃいけない

当事者研究をやってみても
来るのはいわゆる普通の人
でもそれを話しましょうと言ってもほとんどの人は話さない
 そりゃそうだよね
信頼関係ができて話せるというもの。

社会で擬態できている「なんか自分は苦しいような気がする…」

みんなずれてるからよい

「対人間」にしない

当事者研究では誰かが言った発言を
ホワイトボードに書いて

それに対してみんながそれぞれ考える

人の苦労にフォーカスする前に主役を言葉にする
問題(こと)とそれ(問題)を抱えている人に分けて
問題を主役にする

走することでその場にいる人たちが
ひとつの問題を共有できる

自分が変われば相手も変わる
自分がヒーローになったらダメ
病気の人がそばにいたら自分に目を向けることができない
私に、私の目を向けることは難しい

当事者研究をやってるなかで
相手の弱さを認められると同時に
自分の弱さも認めらる構図が現れた

ひとりで行動して
ひとりで全て引き受けよう とする人だった
それが川村先生に言われたおかげで
周りの人に相談してみたら
同じ考えの人と出会うようになって 仲間ができた

今までひとりぼっちで立ち向かってきた 私は
「人に助けてもらうことは大事」を知りました

そうやって「みんな同じものをみてる仲間」
そういうつながりに出会えたこと 本当に良かったと思ってます。

私 ゆがんでたと気づける場

自分たちがやれること やれないことにも
意味があるんだ。

健常者のフリして、枠の中で生きていこうとして
自分をゆがめてしまったひとが気づける場所

そのまんまでいられる場所を目指してます

当事者研究やってみよう

当事者研究は「べてる」ではじまり いろんなところにひろがって
それぞれその場所にあった内容に変化している

人と場所が変われば在り方も変わる そういうもの

「べてる」の当事者研究
 そこにいてもいいし いなくてもいいよ
 自分のペースに合わせて決めてみて
 でも いつもここはあるから安心してね

「そーね」の当事者研究
 誰かの話を聞くことで ハッと気づける
 自分と似たような人はこの世にいるんだと安心できる
 そのままでいいよって言ってもらえる

自分で当事者研究をはじめてみる

でもいつだって不安なだけで 幸せだって思えたことはない
幸せがどんなものかわからないから書きとめてみる。
私にとってのシアワセってなんだ?

なんでもいいからそのひに「シアワセ」と感じたことを書きとめる
自分が見てなかった自分自身を知ることができました。

それから一般的に言われている「シアワセ」と
私が感じるシアワセは微妙に違うんだということをわかりました

私は自分のことを分離させてかんがえてきました

本名の私と細川貂々の私

本名の私は、いらない存在
価値がないとも思ってました。
だからいままでは必死にこっちを消そうとして
貂々の私で生きようとしてました

でも消そうとすればするほど存在が大きくなる

でこっちのわたしを一年間 大事にしようと心がけました。
そして
感じたことは 「このままの自分でいられると楽だなあ」

そのまんまの自分を取り戻すことができた
自分みたいなのにもシアワセを感じる力があるんだ
とわかったことが一番大きい収穫

ネガティブな私にもそれなりのシアワセは見つかるもんだな…とわかるようになりその感覚を身体中に染み渡らせてみた

半年後にはシアワセを見つけられるようになりました。

研究をして分かったこと

私のようなややこしい人間でも
シアワセはあるのだから

どんな人にも
シアワセはあるんじゃないかということ
です

誰でもどんな人でも「生きづらさの羽」を背負っていることに
気づいた

その羽は時と場合によって背負ってしまう人もいるし
いつも背負ってる人もいるようです

羽のタイプも 大きさも ひとそれぞれちがってりうとおもうのだけど

どんなに大きい生きづらさの羽を背負っていても
その人にとってのシアワセはきっとある

当事者研究をしってからは
生きづらさの羽を背負っている人を見かけたら
一緒にがんばろうねって
っておもえるようになりました。

自分の苦労を話してひとと分かち合うことが
「生きづらさ」とうまく付き合っていく方法なのかな
それが当事者研究。

人に話すことで変わる。
自分に必要なことだなと…思いました。
人に聞けない。
だからネガティブの連鎖に陥る。

でもいまこの時代だからこそ。
当事者研究というものがもっと手軽にできるようにもっとネットの世界で手軽にできるようになるといいなって思いました。

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